公益財団法人 とよなか国際交流協会

リレーコラム(2015年度~)

2021年06月 이모저모通信(第6回)

皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)

気力、体力、「共感する」能力

先の見通しが立たない毎日を過ごすことになるなんて、2020年の年明けには思いもしなかった日常が続いている。見通しどころか、突然、ウィルスに感染し、亡くなった人、闘っている人、自宅待機という隔離状態の人たちがいる。その人たちの周辺には医療従事者、介護する人などが感染の危険にさらされながら治療や看護をしている。感染の可能性は誰にでもある。見えない恐怖に対する不安感が、沈殿している差別意識を浮上させる。さいたま市が埼玉朝鮮初中級学校の幼稚園部(園児41人)をマスク配布対象から外していたことが判明した。市職員が3月10日配付しないと説明した際に、配ったマスクが「転売されるかもしれない」という趣旨の発言まであったという。当事者からの抗議や新聞報道によって撤回されたが、本当にがっかりさせられた。外国籍住民も日本人と同じ納税の義務があるのに、排除して当然という意識や、ひょっとして犯罪に関係するのではという偏見を市民のために働く立場の人たちが持っている。ウィルスも恐ろしいが、外国籍住民への攻撃がどのような形で出てくるのか恐ろしい。不安な毎日を誰かのせいにしたり、自分たちとは異なる共通の敵を作ったり、関東大震災の時の朝鮮人虐殺を思い出さずにはいられない。外国にルーツのある子どもや親への偏見は普段の生活に存在する限り、露骨にでてくる。
 ウィルス感染の歴史をたどれば、国民を第一に考えない政治家の失策により、たくさんの死者が出る中、市民が貧困地域に自家用車で支援に駆け付け収束することができたという話がある。地域で多様な個性を持った人たちのことを考えることができるのか、これからが正念場である。「子ども食堂」が弁当配付をしている地域もあり、市民が防護服の代用品を手作りしている地域もある。困っている人たちのことを考え、今まで以上に協力体制が作れると、これからの不安を少しでも解消できるのではないだろうか。
 世界中で感染が拡大する中、休校を余儀なくされたケニアの学校では朝の給食と昼の給食が子どもたちの命綱だった。南アフリカでは貧窮した市民たちが略奪に走り、学校も被害に遭っている。アフリカの子どもたちだけでなく、日本にいる子どもたちもどうなるのか、心配の種は尽きない。
 緊急事態宣言という権力行使は事態収拾後もどう使われるのか、しっかりと情報を共有し監視していきたいと思う。そして、自分の心をいたわる努力を続けていこう。本棚を整理していたら、そのうち読もうと思っていた本が出てきた。夜間中学に人生を賭けた髙野雅夫さんと息子の大さんによる「父の遺書、僕たちの新書」、エドワード・W・サイード「知識人とは何か」、展覧会の図録、韓国で購入した絵本などなど。不安な気持ちになったときに寄り添い、新たな勇気を持たせてくれる本を手に取ってみた。整理の範囲は洋服、台所、冷蔵庫とどんどん広がり、気持ちもすっきりして、明日への意欲が湧いてくる。
 緊急事態の中で気力、体力を蓄え、今まで習い覚えた「共感する」という大切な能力を高めていきたい。

皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)

2018年2月号に最終回を迎えた連載「なんじゃ・カンジャ・言わせてもらえば」の執筆者、皇甫康子さんの新しいコラムがスタートします。皇甫さんの想いとメッセージがイモヂョモ(あれこれ)詰まったコラムをどうぞ。