公益財団法人 とよなか国際交流協会

リレーコラム(2015年度~)

2020年10月 이모저모通信(第7回)

皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)

第7回  映画「マルモイ」は民族教育の原点

 75回目の8月15日の光復節を迎え映画「マルモイ」を日本で観ることができた。2018年に韓国で上映されたこの映画は1942年の「朝鮮語学会事件」を基に、日本の植民地統治時代にハングルの辞書作成に命を賭けて挑んだ人びとの物語だ。朝鮮で朝鮮語を研究し、辞書を作るのは当然のことだが、朝鮮人を「皇軍兵士」として活用するための創氏改名や神社参拝、日本語常用などの「皇民化政策」下において、そんな活動は認められない。
 ハングルを守るための本格的な動きは1929年10月31日の「ハングルの日」記念日に108人が集まり結成した「朝鮮語辞典編纂の会」からはじまった。31年には「朝鮮語学会」となり、日本の植民地下で朝鮮語の研究と夜学など隠れて行われたハングルの普及、民族運動に大きく貢献していた。そんな活動を危険視した朝鮮総督府は「朝鮮語学会事件」をでっち上げる。反日教育をしているとされた教員、33人が検挙され拷問、裁判に付された。その中には拷問と寒さに耐えきれず獄死した人もいる。
 映画は1940年代の京城(現在のソウル)で生きる底辺の人々と朝鮮語を守ろうとする教員、詩人、ジャーナリストたちが偶然に交わる所からはじまる。知識人や文化人と孤児だったり、前科があったりといった人々が度重なる試練を一つひとつ乗り越え、強く結びついていく。登場人物たちの変容ぶりに笑ったり、泣いたり、怒ったり、目まぐるしい感情の変化に我を忘れて入り込む。
 ユン・ゲサン演じるヂョンファンが、ソウル駅にたむろする飢えた子どもたちが日本語しか話そうとしない様子を見て、このままでは、自分が何者か分からなくなってしまう。この子たちに朝鮮語を残さなくては人間としての誇りもなくなってしまうと、辞書作成の動機を語る場面がある。その誇りを根絶やしにしたのが皇民化教育だった。そして「在日」は現在も朝鮮人であることに誇りを持つのは大変な努力が必要だ。
 オム・ユナ監督は「日本統治時代の中で、監視と弾圧が最もはげしかった13年間。私たちの言葉と文字を守るという志だけで、『朝鮮語学会』が完成させた私たちの辞書。その原稿には全国各地から言葉を送ってくれた数多くの名もなき人々の協力があった。映画「マルモイ(ことばあつめ)」を通じて、現実という壁にぶつかって夢見ることさえ贅沢になった今の世の中に、共に夢をかなえていく人々のぬくもりが伝わり、厳しい世の中を辛うじて一人で耐えている人たちへの小さな慰めになればうれしい。見回してみれば、共に歩んでくれる人が隣にいるんだと」と語っている。
 日本人になりたかった私が朝鮮人に生まれて良かったと思えるのは、こんな映画のお陰だ。

皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)

2018年2月号に最終回を迎えた連載「なんじゃ・カンジャ・言わせてもらえば」の執筆者、皇甫康子さんの新しいコラムがスタートします。皇甫さんの想いとメッセージがイモヂョモ(あれこれ)詰まったコラムをどうぞ。