公益財団法人 とよなか国際交流協会

リレーコラム(2015年度~)

2021年8月 少しだけ北の国から@福島

辻明典(つじあきのり)

少しだけ北の国から@福島(第24回)


 最近、想像していた以上の忙しさに襲われてしまいました。そして忙しすぎると、例え自覚症状がなくても、体調を崩してしまうこともあるのだな・・・と身をもって知ることができました。みなさまもどうかお気をつけください。体調が第一です。
 さて、正直に申し上げると、何を書こうかな・・・とかなり迷走しておりました。睡眠時間が削られるほどの忙しさに巻き込まれると、自分が感じている以上に、思考が働かなくなってしまうのだな、と思い知らされております。「自分自身と対話をする」時間、つまりは、自分に問いかけ、じっくりと考えるような時間が、あまりにも少なくなってしまったなと、驚くばかりです。
 また、豊中でも同じだと思いますが、新型コロナウィルスの広がりは、社会の〈余白〉をせばめてしまったのではないか、と気になっています。社会の〈余白〉というと、我ながら難しいことを言っているようでとっても恥ずかしいのですが・・・
「まあまあ、なんとかなるよ」「まあ、気にしないでおこうよ」「そのうち、なんとかなるでしょう」
 といったような、おおらかな気分のようなものです。感染が広がっている状況で、「まあ、なんとかなるよ」なんて簡単には言えないのは事実です。でも、誰もが心の余裕が無くし、急かされているというか、ゆっくりと待てなくなっているというか、そう思わざるを得ないような気分が広がっているような気がします。そういった気分は、時代の波とともに押し寄せてきて、私自身もそこからは簡単には逃れられないし、余裕は簡単には取り戻せるようなものではなさそうです。この社会は、急速に窮屈になっているのだろうか…と心配しています。
 ところで最近、双葉郡出身の友人と、ばったりと再会しました。おそらく、10年近く会っていなかったはずです。その友人は、立派に手に職をつけて(「手に職をつける」なんて言葉は、最近あまり使われなくなっていますが)、働いていました。昔話に花が咲いたのですが、話の中でたびたび、実家はすでに取り壊したこと、だから帰る場所はなくなってしまったこと、両親は離れた土地に新居を構えたこと、自分が通っていた学校が取り壊されることになったこと、などが差し込まれてきます。文字に起こすと深刻な問題に読めるでしょうし、大変な出来事であることに間違いはないのですが、別に暗い雰囲気のなか話していたわけでは決してなく、私と友人は学生時代と変わらず親しく話していたのです。
 新型コロナウィルスが広がっていっても、当たり前ですけれど、いつも通りに時間は過ぎていきます。いつもの日常の中の、ただ何気ない会話の中に、触れるか触れまいか少し戸惑ってしまうような話が、ときおり差し込まれるということが、私たちの暮らしなのかもしれない、と思います。ただそういった話も、私たちの心に余裕がなければ、話すことも、聞くことも、受け止めることもできないだろうと思います。別段、私の心にいつも余裕がある、というわけでもないのですけれど、せめて、「のんびり、お茶でも飲もうよ」というような気分があったほうが、ほんの少しは健全な社会になりそうだな、と思ったりするのです。

辻明典(つじあきのり)

協会事業(哲学カフェ、プロジェクト“さんかふぇ”等)に参加していた辻明典さんが、2013年度より故郷である福島県南相馬市に戻り、教員をしています。辻さんからの福島からの便りをどうぞ。