公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第1回 子どもの本のちから

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

豊中には第四中学に夜間学級があります。 私が勤務していた一四年前は、「在日」一世の女性たちが六〇歳、七〇歳を過ぎてようやく、夜間中学で文字を取り戻していました。中には一度も学校にいったことがないという人もいて、一字、一字、渾身の力を込めて文字を書く姿に胸がつまりました。週三回、一年だけの非常勤講師でしたが、生徒さんたちから学んだことは今でも大きな財産になっています。日本語が分からなくて、買い物の時に日本人が話す言葉を必死で覚えたことや、子どもが高熱を出しても、お医者さんに説明できなくて困ったことなど、指導するこちらが生徒さんの話に聞き入ってしまうことが度々ありました。しっかり聞き取って、残しておけば良かったと思う話ばかりです。
夜間中学の生徒さんの話に繋がる、素晴らしい絵本が出版されました。絵本の主人公、吉田一子さんは六〇歳を過ぎて識字学級の門を叩き、八三歳になった現在も通い続けています。文字が読めない、書けないとはどういうことなのか、吉田さんの生い立ちや若一でのくらしを描いた「ひらがなにっき」が教えてくれます。絵本作家、長野ヒデ子さんの絵が明るくて、楽しくて、きれいです。そして、絵本に出てくる人たちが、躍動感に溢れています。「識字のことを知らない人にもわかりやすく、楽しく、なかみが深く、大人から子どもまで理解できる表現にしました。」と長野さんが話されていましたが、言葉通りの絵本です。
長野さんは松谷みよ子さんから「子どもに昔話を語れない人は、自分の子どもの頃のことを話すことが一番。」と言われ、そのお話が最初の絵本になったそうです。私の周りには、自分の子ども時代を語れない人たちがいます。日本人と結婚した遠縁の叔母は、差別が厳しい時代で、自分の子どもにも朝鮮人だということを隠していました。そんな叔母が、ほんの少しの真実を嘘でくるんで、子どもに話していたのはどんな話だったのでしょうか。
吉田さんは堂々と、自分の生い立ちをつづり、読み書きができなかった頃の恐怖や孤独感から解放されました。私たちは吉田さんが書いてくれた「ひらがなにっき」を読み、変容できる人間の素晴らしさを確認することができます。
人や社会を変える、子どもの本がたくさんあります。ケス1.子どもの本のちから30トナーの「飛ぶ教室」やハンス・ペーター・リヒターの「あのころはフリードリヒがいた」を読んで、ヒトラー政権下のドイツを知ることができました。日本の中国侵略を描いた、乙骨淑子の「ぴいちゃあしゃん」、赤木由子の「二つの国の物語」は、戦争に巻き込まれる中国と日本の子どもたちの姿を見せてくれました。丸木俊の「ひろしまのぴか」や沖縄戦を描いた野坂昭如の「ウミガメと少年」を開くと絵を見るだけで、戦争への怒りが涌き上がります。小学校の子どもたちと読んだ、原田正純さんの「水俣の赤い海」も忘れられません。これらの本は、大人になってから読んだものばかりですが、自分はどんな人間になるのか、どんな社会をつくらなくてはいけないのか、考えさせてくれました。
「ひらがなにっき」は何度でも読みたくなり、その度に元気になります。日本語がむずかしいと思う人にも、やさしく寄り添ってくれます。読んでみてください。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。