公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第72回 「女子寮ドタバタ日記」蒔田さんとの出会い

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

 蒔田さんの名前を知ったのは、1990年に出版された、「十一月のほうせん花 : 在日オモニの手記」という本です。京都の夜間中学校で学ぶ、皇甫 任さんの素敵な詩に、蒔田さんの聞き取りと解説があり、丸木俊さんの装画と挿絵です。それまで、会うことがなかった、親戚の任(イム)さんの半生を読み、「在日」の先輩女性たちがどんな気持ちで故郷を思いながら、日本での生活に耐えてきたのかを実感することができました。母方の祖母も故郷、慶尚北道聞慶の美しい風景を胸に、他郷である日本で最期を迎え、10年以上になります。
 蒔田さんとは共通の知り合いがたくさんいて、必然的に30代半ばで会ったように記憶しています。私が「慰安婦」問題の集会などを企画していた頃のことです。「慰安婦」問題の教材ビデオ「クレドサラワッチ~それでも生きた」を仲間たちと制作した後、二作目の「在日」女性をテーマにした「イヂェプト~今から」のドキュメンタリービデオをつくることになったとき、イムさんと蒔田さんに是非、出演してもらおうと考えていました。蒔田さんの娘さん二人も一緒に、イムさんの故郷でゆったりと語り合いました。日本人の責任をどう果たすのか、「在日」と繋がって生きて行きたいという、蒔田さんの思いや行動を見て、こんな日本人がいるのかとうれしい気持ちになりました。1996年6月にドキュメンタリービデオは完成しました。1995年に起こった阪神淡路大震災のあと、毎週土日の休みに子連れでボランティアに出かけていると聞き、被災した親戚、知り合いがたくさんいる私でも根を上げているのにと、驚かされました。しかも、仮設住宅に入れず、生活の目途がたたない避難者がいる限り、その支援活動は続いていたのでした。
 同志社大学女性寮の寮母さんなので、少数民族の留学生の里帰りにつきあった話や、学生のようすの移り変わりなど、いつも話題は尽きませんでした。とりわけ、すごいと思ったのは地元、京都で市民運動をし、今も声を上げ続けていることです。
 2014年10月、「大学生活の迷い方―女子寮ドタバタ日記」が出版されていたということを、彼女の年賀状で知りました。さっそく、読んでみると、数年に一度、会って聞いていた話がすべて繋がり、彼女が何を考え行動していたのかを知ることができました。読み進むと、知っている名前が出てきて驚かされます。学生時代の「在日」の後輩や、野宿者の人たちと共に活動し、亡くなった友人の妹さんの名前もありました。彼女との最後の別れに号泣する蒔田さんのようすに、涙が止まりません。「なに、このつながり方」と本を読み終わり、絶句しました。
 言うまでもなく、多様な女性たちが苦悩し、挫折し、励ましあい、自立するという感動絵巻もあれば、1951年にはじまった松蔭寮から見える、大学自治や社会の変遷を知れるのも興味深いです。何よりも、人を受け入れ、貪欲に生きようとする蒔田さんの姿勢に触れることで、若い人たちが自分の人生を考えるきっかけになると思います。岩波ジュニア新書というのも、憎いです。読むと必ず元気になります。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。