公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第11回 民族色豊かな「生活マップ」

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

 二〇〇一年の春にアメリカ、サンフランシスコの学校を見学し、交流するというツアーに参加しました。そのときの発表の中で、生活マップづくりをしながら、子ども達、それぞれが持っている民族性や生活様式を教師が知るという、実践報告がありました。食材を買う店、イスラム教やキリスト教、仏教など、通っている教会、寺院、遊ぶ場所、病院、母語や英語を習得する場所など、子ども達の生活をマップに表すことで、子どもが持っている民族的な背景がわかるというものでした。
 急激な日本の国際化に伴い、戦前、戦中から世代を継いで、日本に住み続けている在日朝鮮人、韓国人たちの数は、世代交代や国際結婚などによる日本国籍取得者の増加で、減少の一途をたどっていますが、新しく日本に移住する外国人の数は増加し続けています。人口、約一〇万五千人の池田市の二〇〇八年八月の統計によると、外国人登録をしている外国人は四七カ国、一四六八人です。国際結婚で、日本国籍を持つ子ども達も増えており、学校には数字以上に、多様な文化を持つ子ども達が点在しています。九年前に知った、生活マップづくりが必要に思える、最近の池田市内の状況です。
 日本で生まれ育った、外国にルーツを持つ子ども達は日本語が母語なので、学校ではそれほど支援を必要としません。しかし、日本語が不自由な親との関係や、多数の日本人児童との生活様式の違いで、悩むことが多いのです。子ども達と話をしていると、普段の食事や、行事の中に民族色の豊かさを感じることが多くあります。そんな子ども達の生活を知り、教師や周りの仲間が一緒に学ぼうとする雰囲気が学校にあると、安心して自分の民族性を出すことができますね。
 一九五七年生まれの私は、小学校三年生から高校まで、日本の公立学校に通いました。小学校、中学校の歴史の時間に「朝鮮」という言葉が出るたびにどきどきし、顔が上げられませんでした。植民地だった朝鮮に対する侮蔑的な空気が、まだまだ、残っていたこともありますが、何よりも、教える日本人教師の無意識さ、不十分な教科書の記載に問題があったと思います。家の中では、韓国料理が並び、法事、冠婚葬祭、礼儀作法など、韓国式の生活をしていました。でも、お正月に、お雑煮ではなく、トックを食べていることすら、聞いてくれる担任の先生はいませんでした。そして、韓国人の私が、「どうして日本で生まれ育ったのか」という、疑問に答えてくれる授業を受けたこともありませんでした。これでは、韓国人である自分を隠すしかありません。そんな私が、自分の国のことを知るようになるのは、高校生になって、はじめて祖国に帰った時期からです。何年ぶりかで名乗った本名が当たり前の国、道行く人たち、大統領、国会議員も警察官も、みんな韓国人という空間に身を置いたときの解放感は、今でも忘れられません。高校の先生たちが、韓国を訪問した私に、「在日」の小説家や歴史研究家の本を貸してくれたり、「在日」の先輩の話を聞かせてくれたりしたことも驚きでした。
 大学で、「在日」の仲間と、分断されている祖国や「在日」の歴史を学習する機会を得、真実を知ったときの衝撃は大きかったです。日本が起こした侵略戦争のせいで、私たちの祖父母、父母たちは祖国を離れざるを得なかったことや、戦後も祖国に帰国できなかった理由を知り、被害国民でありがなら、加害国、日本から差別を受けるという不当な扱いに怒りが湧き上がりました。同時に、無知な自分が母国語を学ぼうとせず、民族文化を拒絶していたことが恥ずかしくなりました。
 私が紆余曲折を経て、小学校の教師になろうと思ったのは、「在日」の子ども達をはじめ、外国にルーツを持つ子ども達が義務教育の中で、お母さん、お父さんの国の歴史や文化を知り、自信を持って、学校生活を送ってほしいと考えたからです。日本で、日本人であることの説明などしませんが、「在日」の私はいつも、自分のことを説明しなくてはなりません。民族名を名乗ると、「日本語上手ですね」と言われたり、「どうして韓国語が話せないの」と不思議がられたりすると、「在日」について説明せずにはいられません。説明責任は日本以外の外国においても、その任を免れないのです。多様な民族性を持つ子ども達が、自分のことを説明できる力をつけなければ、「日本人と同じ」と見過ごされたり、無理解な扱いを受けたりしないか心配です。自分のアイデンティティを説明するために、学校で学ぶ場や機会が保障されなければなりません。また、日本の子ども達にとっても日本という国がどんな国なのか、説明できる力が必要です。アジアをはじめ、諸外国から、日本はどんな国だと思われているのかを、知ることも大切ですね。
 池田でも韓国、中国、タイ、ネパールの料理店が目につくようになりました。スーパーマーケットで、トックやピータン、フォーなどの食材も手に入ります。多様な文化を楽しめる、「生活マップ」ができそうです。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。