公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第17回 子どもの未来をつくる国際交流

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

七月四日から九日まで、吹奏楽クラブの子どもたち六八人とシンガポールを訪問しました。毎年、開催されている、シンガポールの子どもたちの吹奏楽コンサートに、ゲストとして招待されたのです。
 日頃から毎日、厳しい練習を重ねている子どもたちですが、出発前には、残って応援してくれる全校生との「行ってきます」集会、夜には池田市長をはじめ、地域の人たちを招いてのコンサートと、怒濤のような忙しさで飛行機に乗り込みました。四年生から六年生までの子どもたちのうち、飛行機に乗るのも、親と離れての長期宿泊も初めてという子どもがたくさんいます。
 約七時間の飛行後、到着した広大なチャンギ空港に、訪問予定の小学校の校長先生や教育省の人たちが出迎えてくれました。屋外に出ると、ねっとりとした湿気と気温の高さにあえぎましたが、室内の効き過ぎたエアコンに慣れるのも一苦労でした。
 アラブストリートにあるホテルからは、美しいイスラム寺院が見えます。スカーフを頭に巻いた女性たちや、定期的に流れるコーランの音を聞いていると、異文化の中にいることを実感して、ワクワクします。演奏の合間に、チャイナタウンの市場で珍しい食材を見たり、絵文字を書いてもらったり、子どもたちと一緒に出かけると、面白いことにたくさん遭遇しました。日本の中では感じる機会が少なかった、「なんでも見てやろう」という、子どもたちのたくましさに、感心させられました。アラブストリートでは、珍しい生地や、美しい小物がたくさんあり、あれやこれやと物色していると、バングラデシュのダッカから修学旅行に来たという、日本人学校の先生や生徒さんたちに声を掛けられました。皆さんから、「演奏がんばって」とエールを送られ、本番を迎えました。素晴らしいホールでのゲスト演奏は、シンガポールの皆さんから大きな拍手を頂きました。子どもたちは本当に素晴らしかったです。
 中国系が七割以上、マレー系、南インドのタミール系と続く、シンガポールの小学校では、英語と母語である、北京語、マレー語、タミール語を学んでいます。その他、福建語や広東語を話す人も多く、まさに多言語の国です。淡路島ぐらいの広さながら、世界貿易の拠点として高いビルが建ち並ぶ、好景気の国ですが、主たる天然資源を持たないため、国の発展のためには、人材育成が第一と教育熱心です。交流した、小学校でも、授業はすべて、プロジェクターで行われ、コンピューター主導でした。マレーシアの踊りで出迎えてくれた子どもたち、チャイナドレスの校長先生の姿は、多様な民族の香りがします。図書室をのぞくと、英語とアジア中の言語の絵本があったり、廊下には中国、インド、マレーシアの民族衣装を着た先生たちの写真があったり、食堂でも、それぞれの民族のお店が並んでいました。
 この学校は、午前、午後の二部制で、二〇〇〇人以上の子ども達が学習しているのですが、どの子も私たちを見ると、笑顔で迎えてくれます。言葉が通じなくても、トイレを探しているとすぐに察知して、案内してくれたりもします。相手を受け入れよう、とする気持ちが育っているのです。心地よい交流の後、四〇代の女性の校長先生の「この学校の子どもたちは、家庭的に厳しい状況の子どもたちが多くいます。だからこそ、いろいろな人たちと交流することで、人とのつきあい方を学んでほしいのです」という言葉に、なるほどと思いを新たにしました。
 国際交流は少数のエリートや、多数者のためのものというイメージがあるのですが、実は周辺化される子どもたちにとって、社会との接点を持つ、大切な取り組みにもなります。今度は、シンガポールの子どもたちを迎えることで、これからの交流の可能性を探っていきたいと思います。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。