公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第32回 本名は人間の誇り

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

 疎遠になっていた、親戚の訃報を受け、お葬式に参列しました。私が子どもの頃は、「在日」だと意識させられるのが冠婚葬祭でしたが、故人の名前は通称名、樒を探しても、朝鮮名なのは「皇甫」だけ。チマ・チョゴリ姿の遺影が唯一、民族的です。まるで、創氏改名を押し付けられた、植民地時代にタイムスリップしたようでした。滋賀県の湖西にある、朝鮮人の村なのに、唖然とさせられました。
 学生の頃、「本名は民族の誇り」という本を大きな書店で見つけました。本名を名乗りはじめた頃で、アルバイトや習い事でも、民族名を名乗るのは面倒くさいなと憂鬱でした。学校や仲間といるときには誇らしく、本名を呼び名乗っていても、新しい人間関係や、初めての場では、気持ちが折れそうになります。この本は、「本名を名乗るのは人間として、常識であり、当たり前のことだ。」と、私を励まし、導いてくれました。
 最近、知人が送ってくれたのが、金容海先生の物語、「金ソンセンニム」(イルムの会・編、新幹社二〇一一年三月刊)です。「本名は民族の誇り」で先生を知ってから、三五年以上が経過しました。金先生は一九五一年から大阪市立北鶴橋小学校で、三六年間、民族講師として活動されました。本には、先生の生い立ちや、「本名を名乗る」取り組みと思い、民族講師の待遇改善など、身を挺した闘いの歴史が記されています。故郷、済州島の学校にオルガンを送り続け、貧しい窮状を救うため、みかんの苗木を探す先生の姿は、祖国の家族を思う、在日一世たちに重なります。日本人の無理解、仲間からの裏切りにあっても、民族教育と祖国のために寄与されてきた先生の生き方は、分断祖国と「在日」、そして民族教育の苦難の歴史そのものです。特に、「本名をなのる」必要性を繰り返し、説かれています。
 「通称名も自分の名前だ。」とか、「名前なんて記号にすぎない。」と民族名を名乗ることを忌避する「在日」に出会っても、否定などできません。「韓流」と持てはやされても、「在日」が出自を明らかにできない差別と排除が、まだまだ続いているからです。しかし、受け入れるだけで良いのかと、説得できない自分の力のなさに、いつも悩んでしまいます。
 大阪府下で、採用された外国籍教員は毎年増えています。最近、本名で教壇に立つ、若い同胞の仲間に出会うことが多くなりました。「最初は緊張したけれど、子どもたちは自然に民族名を受けとめてくれた。」と、うれしそうに語る姿を見て、私たちが金容海先生の実践に、しっかりと繋がっていることが実感できました。
 日本国籍を持った、多様な民族の子どもたちが、多くなっている現状を考えると、日本の教育現場で「在日」が果たす役割は、計り知れません。本を読み終わって、「民族教育は人権教育である。」という不変の理念の下、多様な子どもたちのための「民族学級」や「母国語教室」が益々、必要になると、確信しました。
 民族の臭いが感じられない、お葬式でしたが、懐かしい顔に出会えたり、ご飯を食べて帰れとしつこく誘われたり、朝鮮人ならではの雰囲気にほっとしました。同時に、本名を名乗る気持ちなど持てなかった、親戚たちの、民族名を知らないことに思いあたりました。死んでも、本名を名乗れない社会に、私たちは生きているのです。「本名を呼び、名乗る」ということは、人間の尊厳を賭けた闘いなのだと、言い続けていきたいです。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。