公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第38回 希望を紡ぐ手仕事

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

韓国の伝統布工芸の中で、有名になったのが、パッチワークのポヂャギですね。元々はチマ・チョゴリや布団に使われた残り布を繋ぎ合わせ、風呂敷にしたものでした。冬用のチョゴリやコート、マフラーなどの小物にもなる、ヌビ(刺し子)も素晴らしいアイデアと技術です。綿布や絹布に真綿を挟み、一針、一針、縫っていくのですが、軽く、暖かく、丈夫です。韓国にもキルトがあったのだと本当に驚きましたが、紹介してくれたのは、豊中の中学校教員だった友人、中谷省三さんです。中谷さんから、手作りのヌビのマフラーを見せてもらい、私も作りたいと思い立ちました。子どもの頃から、「男まさり」「不器用」と母親から言われ続けてきた私ですが、本当に自分にはできないのかと、結婚後、編み物やミシン掛けなど果敢に挑戦してみました。その後、アイヌ刺繍にも出会ったりして、苦手意識からようやく解放されつつあります。手芸というより、差別問題や人権問題を解決しようとする実践のなかで、知り合った人たちから教わったものが多いです。
 四年前にヌビの先生を韓国から招いて、二〇数人でマフラーを作り、昨年末には、安東に先生を訪ね、チョガッポを作りました。自慢できる出来栄えではありませんが、自分で作った作品は可愛いです。ヌビは日本の刺し子のように縫っていきますが、その筋目が田圃の畝を思わせます。真っ直ぐ縫うことが大変で、あっち向いたり、こっち向いたりですが、何度もやるうちに何とかなっていきます。マフラーは一筋縫うのに、二時間かかりました。根気のいる作業ですが、知らぬ間に時間が流れ、何も考えないで過ごすことができます。しかも、どんなに遅くても、確実に成果が見えます。
 私は韓国人ですが、韓国には一度も住んだことがなく、普通の韓国人が知っていることを知りません。韓国語も民族楽器のチャンゴも、大人になってから学習しはじめました。伝統工芸や書芸に民画、家屋や衣装、行事など、まだまだ、知りたいことがたくさんあります。そして、知れば知るほど、先人たちの知恵や工夫に感心させられます。
 アイヌの女性たちと、グアテマラを旅したときに、津波の被害に遭った先住民族の女性たちの避難所を訪ねたことがあります。機織をすることで、生きる希望を持つことができたと、複雑な織り模様や刺繍を駆使した、美しい民族衣装を見せてくれました。農作業をする時も、家事をする時も、いつでもどこでも、彼女たちは民族衣装を着ます。「どんなに貧しくても、私たちには民族衣装があります。」と誇らしく語る姿が、目に焼きついています。
 私の母は、京都の被差別部落に隣接した、朝鮮人居住区で育ちました。小学校にも行かず、幼いきょうだいの面倒を見てきた母の夢は、デザイナーです。見様、見まねで習得した、編み物や縫い物をしているときは、いつも幸せそうでした。自尊感情など持ち得ない環境に育った母にとっては、自分の作品が誇りだったのだと思います。形見になった、端切れで作ったエプロンの縫い目を見ていると、きれい好きで何事にも誠実だった母の、ミシンを踏む姿が思い浮かびます。手仕事をしながら、叶わぬ自己実現の夢を追いかけていたのかも知れません。
 中谷さんのアトリエを訪ね、久々にヌビをしました。お庭には紅梅、白梅が咲き、良い香りがします。中谷さんは宝塚市大原野の美しい山里に居を構え、木版画とヌビの工房「求里畝(クリム)」で活躍されています。最近、思い悩んでは、ため息をつく毎日でしたが、美しい布に囲まれ、美味しいものを食べ、心躍る話をし、無心に縫うヌビに救われました。針を動かしていると、祖母や母、友人たちを思い出します。気持ちが落ち着き、不安がなくなっていきました。春爛漫です。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。