第90回 映画『さとにきたらええやん。』
皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)
転車に乗って町を走る学生服姿を追いかけるように、パンチのきいた歌声が響きます。商店街、パチンコ屋、一杯飲み屋と人間くさい西成のまちを突っ切り、到着したのが「子どもの里」です。年齢を問わずいろいろな背景を持った子どもたちが、遊んだり、勉強したり、食事を作ったりしています。そんな子どもたちの側にはいつも、館長の荘保共子さんの笑顔が寄り添っています。1977年、大阪市西成区の通称「釜ヶ崎」の子どもたちに安心で自由な遊び場を提供したいという思いから、「こどもの里」ははじまりました。
荘保さんと釜ヶ崎との出会いは、大学卒業後のボランティア活動でした。子どもの頃は、獣医だったお父さんの赴任先であるアフリカやインドを訪れていたこともあり、肌の色や文化の違う友だちいることがとても楽しかったと話されていました。両親の反対を押し切り、25歳で家出をして釜ヶ崎へ移り住みます。「日雇いもドヤもアブレも知らなかった私に、幼稚園の子が教えてくれました。ありのままの私でいいんだということも。釜ヶ崎に来て、私は自分が被っていた衣を何枚も脱いで、素の自分でいる気持ちよさを知りました」と、子どもたちから学んだことをたくさん話して下さった、二年前の学習会を思い出します。
2012年、大阪市が独自でやっていた無料利用できる「子どもの家事業」が廃止されました。それでも、知恵を出し合い、行動し、無料で障がいの有無や国籍の区別なく受け入れ続けています。
お話の通りの「こどもの里」を、映像として観ることができるというのは本当に幸せなことでした。職員の人が子どもを語る、厳しく暖かい眼差しに心打たれ、子どもに向き合えない親の背中をさすりながら励ます姿に癒されます。周りの目を気にして学校にいけなくなる中学生は、弟に暴力を振るってしまいます。別居中の父親が殴るのも母親に原因があると言い訳しますが、どんな理由があっても暴力を振るう人間が悪いと諌める職員の言葉にうなだれます。変わろうとしても思うようにならないという誰もが持つ弱さに支配されながら、路上生活をする人たちへの「夜回り」で、自分を取り戻していきます。
母親と生活できず、荘保さんを里親として育った高校生は、「子どもの里」で幼い子どもたちの世話をし、食事を作るのが楽しいと言います。荘保さんからミシンのかけ方も教えてもらい、家事はお手の物です。ある日、荘保さんが突然倒れたと聞き、不安で一杯の彼女の顔が映し出されます。手術後、回復した荘保さんに、お手製のケーキを食べてもらい安心する顔。彼女と一緒にドキドキし、ほっとしました。高校を卒業し、巣立つ彼女に、「困ったことがあったら、一人でなやまないで、相談においで」とみんなが送りだします。
「こどもの里」のホームページには、しんどい人たちへ呼びかける、やさしくて、暖かい言葉が綴られています。読むだけで安心して穏やかな気持ちになります。子どもは親を選べません。どんな親にでも、守ってほしい、大切にしてほしいと期待します。その期待に応えられない親も、「さとにきたらええやん」とまるごと受け入れてくれます。
映画を観終わると、今まで出会った、子どもたちの顔がなだれ込んできました。この映画が初の監督となる重江良樹さんは、8年前から「こどもの里」にボランティアとして通い、2013年から二年間をかけて撮影しました。「こどもの里」の存続のために訴えても、何もできない無力な自分を感じたのが撮影を始める要因の一つとなったそうです。長い時間をかけて、関係性を築いた監督の努力は、素晴らしい映画となって実を結びました。たくさんの人たちに観てほしいです。
明るくなり、座席から立ち上がると、久しぶりの友人たちを見つけ、うれしくなりました。
皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)
1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。