公益財団法人とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第68回 琴線に触れるピアニスト

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

ピアノの旋律に魅了され、心をわしづかみにされることが何度もあります。特にショパンやチャイコフスキー、ドビッシーが好きです。初めて聞いた、ショパンのピアノ曲のレコードは、ルービンシュタインで、その軽やかで優美な演奏に、魅了されました。私の家にピアノがやってきたのは、小学校2年生の頃だったと思います。カワイのアップライトでした。1960年代中頃の高度経済成長期の日本で、ピアノも一般家庭に普及しはじめていました。たぶん、20数万円のピアノだったと思いますが、当時の会社員の初任給の平均が3万円で、JRの初乗りが30円だったそうです。私はオルガンがほしくて、父にねだっていたのですが、届いたのが黒光りしたピアノだったので、本当に驚きました。楽器店で、どうせ買うならピアノと、勧められたのではないかと思います。長屋の奥の部屋に置かれたピアノの下で、本を読んだり、昼寝をしたりしていました。高価なピアノを買ってくれた、親の期待に応えようとしたのですが、練習が欠かせないピアノを続けるのは苦痛でした。ピアノを見るたびに後ろめたい気持ちになりますが、教員免許取得には役に立ちました。この時は、親に感謝しました。
大学の民族サークルで、クラッシック音楽が好きな先輩や同輩がいて、「こんなことも知らないのか」と呆れられながら、クラッシックの楽しみ方を教えてもらいました。ポリーニやアルゲリッチが大好きになり、レコードを買い集め、小学校3年生の時、引っ越した家で音楽を聴くのが楽しみでした。青春真っただ中で、朝鮮の言葉や歴史、「在日」形成史を学び、社会科学や哲学、女性問題にも視野を広げていましたが、学べば、学ぶほど、将来への不安が募り、どんな生き方ができるのか、答えが出ません。苦労してきた親に比べ、ピアノだけでなく、何をやっても続かない自分に自信がなく、めげる毎日でした。そんな時、何度も、好きな曲を聴いていると、気持ちが落ち着きました。
先日、ドキュメンタリー映画「アルゲリッチ私こそ、音楽!」を観ました。憧れの人、アルゲリッチについては、アルゼンチン出身だということしか知りませんでしたが、彼女の娘が映画監督としてインタビューし、実生活が映されていました。長い黒髪に黒い瞳の美しさと存在感が印象的でしたが、フィルムの中の彼女は孫ができ、白髪になっていました。70歳を過ぎた現在も、演奏技術は高く、音楽に向き合う姿勢は情熱的です。ユダヤ人である母親のピアノ英才教育を受け、学校にも行かせてもらえなかった子ども時代。ペロン大統領に直談判し、彼女の才能を認めさせ、オーストリアで学べるようになったのも、母親の執念でした。そんな母親との確執、若くして有名になった後の孤独、二度の結婚と離婚をし、父親が違う娘が3人いるという事実。初めて知る私生活に興味を引かれますが、それ以上に、どんな試練にも耐え、ピアノを弾き続けてきた、彼女の強さとしなやかさに心を奪われました。娘たちが母親を語る姿には、尊敬と畏敬の念が感じられます。とりわけ、結婚しなかった中国人指揮者の父親に引き取られ、児童施設に預けられ、里親に育てられた長女の運命は過酷でした。ビオラ奏者となった彼女は母親と協演することで、過去から解放されているのでしょうか。母親を尊敬しているし、一番親しい女友達だと語っていました。
ほとんど弾かなくなった私のピアノを、子どもたちが使ってくれました。今は、母が孫のために買い直してくれた、ヤマハのアップライトがあります。50年間、ピアノは私の横にありました。学べなかった両親の思いを考えると、手放すことはできません。そのうち、弾くのが楽しみになるのではと、期待しているのですが。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。