公益財団法人とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第64回 無気力と無力感

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

だるくて眠い。心も体もショートしたような毎日をどう過ごせば良いのか。親しい友人と話をしているときは元気なのですが、そのご利益も一瞬で消えます。何か、夢中になれるものをと探してみますが、どれもそれほどの吸引力がありません。環境を変えるのが一番の解決方法ですが、仕事を辞めるわけにもいかず、悶々と過ごしています。
 カウンセリングの先生に出会ったので相談すると、「今までの疲れが出ているのだから、できるだけ休憩して、ダラダラして下さい」と言われましたが、何もしないでいると、それもストレスになります。
 思い返してみれば、同じ仕事をこんなに長く続けているのは初めてです。大学を卒業しても、資格も能力もない「在日」の私が就職できるのは、いつつぶれるか分からない小さな会社ばかりでした。保険も年金も組合もない職場がほとんどで、何度も転職しました。条件の悪い職場で働いていると、自分は価値のない人間だと思い込み、権利意識など持てません。一生年収、168万円の非正規労働が増加していると言われる現在、過去の私のような状況の若者がたくさんいるのではないでしょうか。
 追い詰められている人ほど、政府への怒りを持つはずですが、権力に物申すのではなく、「手近な弱い立場の人たちに鬱憤を晴らす」という、生活改善には程遠い手段に走ってしまいがちです。
 ロスアンジェルスにある「寛容の博物館」を2001年に訪問し、ユダヤ人迫害の過程を体験しながら知ることができました。まず、差別落書きからはじまり、悪質な噂を流す。不景気ゆえに仕事がない多くの人々に「お金持ちのユダヤ人がドイツでのさばっている」と抗議活動を呼びかけます。さらに、ユダヤ人の商店や会社などへの打ち壊しに、先導された市民が加わります。集団の暴力で、日頃の鬱憤を晴らすことができると知った人たちは、次々にその隊列に加わっていくのです。政府が味方なら、取り締まりもありません。ドイツ人やドイツのためにユダヤ人を一掃するという大義名分が、益々、排外主義や暴力を正当化していきます。
 ハンス・ペーター・リヒター作、「あのころはフリードリッヒがいた」の続編、「ぼくたちもそこにいた」の中に、友達だったユダヤ人のフリードリッヒがひどい言葉で罵られているのに、少年たちは助けるどころか、同調してしまう場面があります。生まれ育ったドイツが自分の故郷だと思っていたユダヤ人は、まさか、親しいドイツ人たちが自分たちを無視し、人間扱いしなくなるなんて、最後まで信じられなかったと言います。「法律もあるのだから、そこまでひどい扱いはうけないだろう」という、当たり前の考えは全て裏切られ、最後は絶滅収容所に送られるという悲惨な結果になりました。
 私の憂鬱な気持ちは、日本にこれからも安心して住めるのかという不安感からなのかも知れません。結構長く生きていますが、今まで自分がしてきたことの結果がこんな社会なのかとガッカリしているのかも知れません。無気力と無力感の中で、師岡康子さんの「ヘイト・スピーチとは何か」(岩波新書)を読んで、考えたいと思います。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。