公益財団法人とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第50回 下駄でタップ・ダンス

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

最後に歌舞伎を観たのはいつだったのか、すぐには思い出せないほど前です。確か、京都南座の「吉例顔見世大歌舞伎」で、市川團十郎の助六を観たと思います。昔からのひいきは、片岡仁左衛門です。孝夫の時代から、大好きです。最初に観たのは、「冥土の飛脚」でした。歌舞伎や文楽好きの高校の友人と、演劇部の仲間で作ったのが、「労演」演劇サークルです。毎月、新劇の公演をみんなで見に行っていたのですが、その演目の中に、上方歌舞伎が入っていました。関西の歌舞伎がすたれ、歌舞伎役者は東京に行かないと仕事がないという時代でした。
 演じ終えた、先代の仁左衛門や我當、秀太郎、孝夫の片岡一家が背揃いで、私たちを見送ってくれました。苦しい時に、朝日座の舞台を観にきてくれたという感謝の念の表れだったのでしょうが、その熱意と謙虚さに驚きました。格好良かったです。以来、小遣いをためては孝夫と玉三郎を目当てに、みんなで出かけました。「南総里見八犬伝」の面白さは群を抜き、「勧進帳」や「助六」などの歌舞伎18番も見どころ満載ですが、私はやはり、江戸時代の庶民の生活を描いた「世話物」が好きです。義理と人情で、どんどん窮地に立たされる人間の怒り、嘆き、悲しみを観るたびに、胸が締め付けられます。
 3月末に銀座で、十数年ぶりに歌舞伎を観ました。2月3日に團十郎が亡くなったので、急遽、息子の海老蔵が座長の舞台です。演目は件の友人に誘われ、1974年、8月の大阪中座で観た「夏祭浪花鑑」です。喧嘩っ早い主人公が刑期を終え帰還できたのに、義理のある人を守るために舅殺しをしてしまうという内容ですが、入水や早変わり、屋根の上の捕り物と、観客を魅了する構成でした。「口上」では、亡き父、團十郎や勘三郎の思い出話を語り、笑いと涙を誘います。そして、最後の演目、「高杯」に釘付けになりました。下駄を履いて、タップ・ダンスをするのです。歌舞伎にタップ・ダンスとは驚きましたが、バランスをとりながら、下駄の歯を巧妙に動かす踊りに恐れ入りました。すごい技術です。
 アメリカで流行していたタップ・ダンスを取り入れ、1933年に初演されましたが、最初に観た観客は度肝を抜かれたことでしょう。伝統芸能、伝統食、伝統行事など、すべての伝統文化の中に、人の移動でもたらされた世界の文化が混じり合っています。その土台があるからこそ、歌舞伎にタップ・ダンスも違和感がないのだと思います。
 演劇三昧の高校生活を終え、大学の民族サークルに入った時、「歌舞伎が好き」とは言えず、隠れファンになっていました。それまでの日本的な自分を否定し、朝鮮人としての自分を取り戻す過程では、仕方がなかったのです。生まれ育った日本の文化を、素直に受け入れられない屈折した思いを、たくさんの仲間たちが味わっているのだと思います。どんなに努力しても不完全な民族的素養に悩みましたが、日本語と昔の朝鮮語が混ざった「在日語」や、キムチを入れたお好み焼きなど、「在日」が生み出した文化も面白いなと思えるようになりました。その国の伝統文化を外国の人たちが研究すると、常識に縛られない新しい発見ができ、多様な文化との比較もできますね。伝統という名に臆せず、あぐらをかかず、新しいアイデアと行動力が文化を生かし続けるのだと思います。
中国人の父と日本人の母を持つ若者が、明国再興のために闘う「国姓爺合戦」という、歌舞伎があります。日中国交正常化30周年記念として、2002年に合作映画も制作されています。是非、観てみたいものです。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。