公益財団法人とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第49回 私が持つ「在日力」

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

学期末は授業で呼んでもらえることが多いです。二年生には、人間になりたいトラと熊が登場する「檀君神話」を子どもたちと対話しながら話しました。三年生には、教科書に掲載されている朝鮮の民話、「三年峠」に出てくる山や家、衣装や食器、家具などについて説明し、日本とのちがいを見つけていきます。そして、「雲雨風雷」をあらわした四つの朝鮮の民族楽器を紹介し、ひざを叩いて三拍子のリズムを体験してもらいました。5年生と6年生には、「在日」としての思いや、義務はあっても権利がない生きづらさについて話をしました。
 私が「何のために生きるのか」を意識しだしたのは、8歳ぐらいからです。人間は必ず死ぬということがわかり、「死ぬとはどういうことなのか。死んだらどうなるのか。」を真剣に考えはじめました。死ぬとは、眠ったまま起きないことで、何も感じなくなって、すべての記憶がなくなるのかと思うと、とても不安になりました。また、死んだらどうなるのかは、死なないと分かりません。ますます、不安でした。暗闇が怖くなったり、死ぬ夢を見たり、死ぬということが頭から離れません。そのうちに、「どうせ死ぬのに、何のために私はこの世に生まれてきたのか。」という疑問が湧いてきました。学校に行くと、みんな平気な顔で遊んでいます。みんなは怖くないのかと不思議でした。
 その後すぐに、転居し、朝鮮学校から日本の学校に転校させられた私は、名前を日本語読みに変え、通学することになりました。それからは、「なんで自分は日本人じゃなくて、朝鮮人なのか。」という疑問が、生きていく上での不安感となりました。成長するにつれて、
日本人のふりをするのが当たり前になり、朝鮮人の自分は忘れようとしました。でも、14歳で外国人登録証の常時携帯がはじまったり、15歳で生まれて初めて祖国を訪問したりして、朝鮮人の自分と向き合うことになります。民族名を名乗る先輩たちの姿に励まされ、18歳で本名に戻り、韓国で生まれ育たないで、日本にいるのはどうしてなのかを学習しました。そして、ようやく、朝鮮人であることは恥ずかしいことでも、劣ることでもないという気持ちになりました。そんな中、ユダヤ人の受難の歴史を知ることになります。絶滅収容所を生き抜いた人たちの体験を読み、極限状態にあっても人間らしさを失わない人たちの存在に驚きました。また、命を賭けてユダヤ人を助けた勇気ある人たちについても知ることができました。
 一生懸命に私の話を聞いてくれる子どもたちに、「自分が選べないことはなんですか。」と聞くと、「いつ死ぬか」「どこに生まれるか」「どんな家に生まれるか」「どんな親か」「どの国の人に生まれるか」と次々に答えてくれます。「自分に責任のないことで差別されたり、排除されたりすることは納得がいかない。」と訴えると、大きく頷いてくれました。
 アウシュビッツで生き残ったのは、どんな人たちだったと思うかと聞くと、「ずるい人」と「人を助けた人」に意見が分かれていきます。どんなに大変な状況になっても、そこでどんな態度をとるかは、人間に残された最後の自由だということをみんなで確認することができました。そして、いつかは解放されるという希望を持ち続けた人、大切な人のために生きようとした人、誰かのために役に立とうとした人など、常に人間らしい行動をとった人たちのことを伝えました。では、みんなはこれからどう生きていくのか、考えてみてほしいと話を終えました。
 私は在日朝鮮人だから、出会えた素晴らしい人たちがたくさんいます。自分は何者なのか悩んだことが、生きる力になっていることにも気づかされました。こんな私だからこそ、人の役に立つかもしれません。たくさんの子どもたちが、真剣に私の話を聞いてくれるたびに、その思いは強くなります。自分はどうして「在日」に生まれたのかを悩むより、「在日」の自分ができることをみつけていきたいと思います。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。