第26回 溝橋・抗日戦争記念館
皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)
三月末に「大阪ユネスコスクールネットワーク中国訪問団」の一員に加えてもらって、北京の小中学校、高校、大学を訪問しました。学校訪問の前に、抗日戦争記念館を見学しました。
中国には抗日戦争記念館がたくさんあります。私がはじめて知ったのは、「侵華日軍南京大屠殺遭遇同胞記念館」とされている南京大虐殺記念館です。まだ訪問できずにいますが、展示図録は一〇数年前に友人が持ち帰ってくれました。そこには、韓国、天安の独立記念館で見た写真も多くあり、中国と朝鮮が日本から受けた被害は計り知れないし、その傷は未だ癒えていないことを痛感させられました。
「慰安婦」だった女性たちが半世紀もの間、沈黙を強いられたように、被害国はずっと、内戦、独立など様々な事情で戦争被害や戦争責任について追求することができませんでした。そして、戦後、目覚しい復興を遂げた加害国、日本から経済支援を受けなくては成り立たない事情はどこの国も同じです。被害ばかりを前面に出すと、国交正常化できないという配慮に甘んじてきた、日本の現状はどうなのでしょうか。日本の子どもたちが何も知らず成長し、留学や仕事先で突きつけられる自国の残酷な歴史は、受け止めるには重すぎます。日本の蛮行を小学校の頃から学び、身内に被害者がいるというアジアの子どもたちとは対照的です。
二〇一〇年八月にリニューアルオープンした「中国人民抗日戦争記念館」は一九三一年九月一八日の瀋陽市柳条湖事件からはじまる日本の中国東北地方占領から、一九七二年の日中国交正常化までが展示してありました。一致団結して日本と戦った、中国民衆たちの力は偉大です。巨大な洞窟を手掘りし、基地を作ったり、同化教育に対抗するため、大学を避難させ、未来の人材を育成したりと、窮地に立った人間の知力のすごさに感服しました。トンネルを使ったゲリラ戦を見ていると、アメリカに勝ったベトナムのトンネルに繋がっていることに思い当たりました。また、毛沢東や周恩来、鄧小平などの指導者が実際に戦線に参加している写真を見て、興奮しました。
韓国の独立記念館もそうなのですが、展示の変化が政策に繋がっています。同行した人が、以前より国民党の展示が多くなったと言っていました。台湾を意識しているのは明らかですが、私は少数民族の抗日運動参加の展示も気になりました。
家族連れの見学者も多く、子どもたちが私たちのメモをのぞいています。日本語で話していると、寄ってくる人たちもいます。非難の目線ではなくて、暖かい目線を感じつつも、緊張の一瞬でした。私は日本人ではないので複雑でしたが。
地下に降りてみると、反戦を訴え、自らの戦争体験を描いた、ちばてつや、水木しげる、里中満智子らの漫画が展示してありました。尖閣諸島問題などで、ぎくしゃくしているのに、日本への配慮が伺われました。
記念館の後ろには、一九三七年七月七日、日本軍が中国軍に攻撃をしかけ、中国との全面戦争に突入した盧溝橋があります。橋を渡ったあと、日本軍の攻撃でできた爆撃の跡が残る城壁を見学しました。大きな穴だらけでした。他国にずかずか上がり込み、中国の人たちを追い出し、日本人街を作り、その日本人を守るという名目で戦争を仕掛けるという身勝手な理屈がまかり通る時代でした。しかし、その身勝手な理屈は今現在も、いろいろな国に見られます。
今回の東日本大震災の援助に、一番に来てくれたのが中国です。韓国も迅速な救援隊の派遣でした。また、福島原発の避難地域の近くの朝鮮学校では、日本人の避難者を受け入れ、助け合っているそうです。朝鮮民主主義人民共和国からも哀悼の意が伝えられていますが、報道されていません。「反日教育」をしていると批判する日本人が多いのですが、いざとなったら助けに来てくれる隣の国や、その国に繋がる人たちを敬い、尊重する国民感情が育っていってほしいです。
アジアにはたくさんの戦争記念館があります。被害国の視点で「戦争の記憶」を辿る大切さを感じながら、北京の学校を訪問し、交流しました。
皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)
1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。