公益財団法人とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第42回 『非暴力トレーニング』再読

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

私たちはどんな社会を望んでいるのでしょうか。誰もが願うことは、平和で安全な差別のない社会だと思います。そんな社会をつくるための本が、阿木幸男さんの「非暴力トレーニング」(野草社、一九八四年)です。「非暴力トレーニング」は、お互いの人格を尊重し、積極的にお互いの良さを認め合い、仲間同士の信頼関係を強くしながら、さまざまな社会問題の糸口を見つけ出し、非暴力行動を実践し、非暴力的な生き方をしていく。というのがその精神です。非暴力主義の思想家であり、実践家で有名なのが、インドのマハトマ・ガンジーです。一九三〇年、政府の塩の専売に抗議する「塩の行進」の後、メンバーはいかなる暴力的な弾圧に遭っても、非暴力に対処できるように、トレーニングを受けていたそうです。多くの犠牲者を出しましたが、イギリスのインド支配を問う大きな力になりました。
 ガンジーの遺産は、マーチン・ルーサー・キングに受け継がれます。一八六二年、リンカーン大統領によって奴隷制は廃止されましたが、南部の人種隔離法は続きました。白人、非白人で区別された学校やトイレ、プールや水飲み場などの公共施設をはじめ、飲食店、バスの座席など、日常化した人種差別はそのままでした。バスボイコット運動や、黒人青年が警察から暴行されたことへの抗議活動の高まりは一九六三年、八月二八日の「ワシントン大行進」となり、リンカーン記念堂の前での「私には夢がある」ではじまる、キング牧師の感動的な演説が行われました。この頃、公民権運動の中の平和運動家によってまとめられたのが、「非暴力トレーニング」でした。その後、ベトナム戦争反対の中で、非暴力的なデモや集会を組織するためのセミナーが開かれ、七〇年代に入ってからは、環境運動や反核運動でも活用されるようになっていきます。
 私がこの本と出合ったのは、二〇数年前です。「女性解放と民族解放を同時に手に入れたい。」と集まった仲間の中で対立が起こり、消耗していたときでした。感情的な話に疲れ、会議の場で意見を出さないで、誹謗中傷するやり方にも納得できませんでした。自立した女性の活動を目指したのに、吐き出される言葉の裏に誰かの存在を感じ、とても不愉快でした。結局、物別れに終わってしまったのですが、グループを出ることになった私たちは、これからどうすれば良いのか、本当に分からなくなってしまいました。これまでの対立を整理し、自分たちが何をしたいのか考えることができたのは、この本のお陰です。
 混沌とした中で、女性問題についての学習会をはじめ、イギリスの移民女性たちの芸術活動やアメリカの黒人女性たちの解放運動を知りました。「在日」女性の私たちが元気になり、視野を広げていく過程で、たくさんの素晴らしい出会いがありました。マイノリティ女性たちで企画した、自分たちの力に気づくワークショップもその一つです。
 ワークショップに参加すると、居心地の悪い思いをすることがあります。この違和感は何なのか、「非暴力トレーニング」を久々に読んでみて、思い当たりました。特定の人たちの間だけに通じる、一種のエリート集団を作っていたり、主要な社会問題から眼をそらすためのトレーニング集団になっていたりするのではないでしょうか。本の中に、「トレーニングは緊迫した状況でなされてこそ、効果がある。」という言葉を見つけました。当然のことですが、トレーニングで解決できないこともあります。社会的な少数者は排除されることによって、多数者への対処方法を学びます。時には無感覚になったり、逃げたりもしますが、自分が望む社会を手に入れるためには、闘わないといけないのです。では、多数者の側は、どんなトレーニングが必要なのでしょうか。相手の立場や気持ちを想像する、トレーニングではないでしょうか。自分が当事者になる、少数者になるときを考え、行動できる人間になるための、ワークショップが必要です。常に違和感を持ち、自分とは何かを考える人間と、ありのまま生きていける人間との格差は広がるばかりです。立場は違っても、本当の仲間になるためにはどうすれば良いのか、みんなで考えていきたいですね。
 声の大きい人だけが主張したり、内戦が激化したり、領土問題で騒がしい今だからこそ、非暴力的に解決してほしいと願わずにはいられません。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。