第43回 グレート・ディベーター
皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)
最近の領土問題を巡る言動や行動を、子どもたちがどのように感じているのか気になっていると、学校の廊下で、「竹島」や「尖閣諸島」について、どう思うのかと聞かれました。あなたたちはどう考えるのかと問うと、「日本が韓国と中国からいじめられている。」「島を爆破すればもめない。」と言います。「陸地をなくしても、海の中には、たくさん魚がいるので、どちらがとるかでまたもめます。領土問題は面子の問題だけではなく、資源の取り合い。」と答えると、なるほどと納得顔です。それでは、「半分すれば良いのでは。」と真っ当な解決案を出してきます。「お互いの状況を出し合い、たとえば、貧しい地域の子どもたちが学校に行けないので助けてほしいとか、戦争中に迷惑をかけたから遠慮して要求しますとか、定期的に話し合って、分配するきまりを新しくしていけば良いね。」と話すと、大きくうなずいてくれました。
お互いの主張を出し合い、討論することをディベートと言いますが、日本未公開のアメリカ映画、「グレート・ディベーター」をDVDで観ることができました。テキサス州マーシャルのワイリー大学に実在した、ディベート教室の話です。人種差別が根強く残る、一九三五年のテキサスでは、黒人は白人に逆らわず、黒人社会の枠組みの中で生きていくのが当然だと思われていました。監督、脚本を手がけたデンゼル・ワシントンが演じる教師、トルソンは「体は生かし、頭脳は殺す奴隷制から解放され、黒人差別で歪んだ社会を正す方法は教育だけだ。」という信念を持ち、黒人学生たちの自尊感情を育て、差別に対抗する説得力を養う、ディベート・チームを結成します。教室には、劣等意識を刷り込まれ、自己主張ができなかったり、自暴自棄になったりする学生たちや、「三番目の黒人女性弁護士」を目指す、聡明な女子学生がいます。
ある日、尊敬する父親が白人農家の家畜を車で轢いてしまいます。学生は、大学教授で七カ国語を解す父が、白人農夫に銃で脅され、侮辱されるのを目の当たりにし、強い無力感に襲われます。ディベート大会を巡る途中で、吊され、焼かれた黒人を取り囲む白人集団から逃れる、という恐ろしい体験もします。学生たちのディベートは有名になり、白人大学との初の対戦では、州立大学に入学できない黒人の悔しさや教育費の不平等を訴え、勝利することができました。そして、ついに、ディベートの王者、ハーバード大学とケンブリッジでの対戦が実現することになります。「多数派が善悪を決定するのが、民主主義」という主張には、「善悪を決めるのは数ではなくて、人の良心、市民の良心である。」と反論し、「どんな理念でも、法を崩すものは善であり得ない。」という主張には、「法が間違った差別を助長している。」と、自分たちが目撃したリンチ殺人を告発し、ガンジーの非暴力主義を取り上げ、大聴衆を感動させます。
迫害を受ける人たちが人間として声を上げるには、たくさんの犠牲と、気が遠くなるような努力が必要です。多数派の賛同も得ないと、状況を変えることはできません。「在日」は一世や二世たちの努力で生活基盤がつくられ、教育を受けた人たちが増えると、民族教育や就職差別、入居差別などへの処遇改善の声が、さらに高まりました。しかし、時代に翻弄され、異郷の日本で亡くなった祖母は、入院中、激痛に耐えながら、「ありがとう。すみません。」と日本人看護師に気を遣い、最期を迎えていました。そんな祖母の姿を思い出すと、悲しくなります。
話し合いで感情的になるのは、何かを守りたいと強く思う時です。また、話し合いから逃げることもあります。納得できる話し合いをするには、時間がかかるし、豊富な知識も必要です。そして、相手の気持ちや立場を思いやることが大切ですね。
同じことを言っても、置かれた立場によって、重みや深さがちがってきます。大人だけでなく、子どもたちにも、それぞれ言うに言えない、経験があると思います。そんな体験から出た意見を出し合い、対話することで、難しい問題を解決していきたいです。
皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)
1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。