第46回 『命をかけた1500マイル』
皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)
毎年、楽しみにしている「ぷらっと~シネマ上映とトークの会」に参加しました。一昨年は「招かれざる客」(一九七六年上映)、昨年は一九五五年の作品をリメイクした、二〇〇二年上映の「エデンの彼方に」を観て、映画の中で描かれた、黒人像の問題点を考えました。今年は、二〇〇二年に上映された「裸足の1500マイル」、オーストラリアの映画です。
映画を選び、解説して下さるのは、大阪府立大学教員の萩原弘子さんです。萩原さんの鋭い考察を聴けることが、この会の最大の楽しみです。今回も、期待通りのお話でした。
一九三一年の西オーストラリアで、アボリジニの少女三人が母親の抵抗もむなしく、保護官に連れ去られてしまいます。八歳、一〇歳、一四歳の三人は、白人家庭の使用人とするための訓練所に収容された日から、英語を強制され、母語使用は禁止されます。シスターたちは、白人化することが彼女たちを救うのだと、全くの善意で献身的に世話をし、教育します。アボリジニの文化や生き方を否定される、収容所生活に耐えきれず、一四歳のモリーは、幼い妹と従姉妹を連れ、母の所に逃げ帰る決心をします。
食べるものがなくて歩く元気もなくなったとき、危機を乗りきれたのは、自然の中で生活してきたモリーの知恵でした。追っ手から逃れながら、少女たちは白人女性に教わった通り、フェンスに沿って歩き続けます。途中で、メイドとして暮らしている、収容所の先輩にかくまってもらいましたが、彼女は、雇い主の白人男性から性暴力を受けていました。通報によって、またもや、追っ手が迫ります。気の遠くなるような二四〇〇キロの逃避行は九〇日間続きましたが、母親の元に帰ることができた場面で、映画は終わります。
原題は「ウサギよけのフェンス」です。このフェンスを作るために来た白人男性が、現地の女性に生ませた子どもたちを「保護」という名目で、「野蛮な生活」から隔離し、教育し、同化させるために、収容所に入れました。映画の中で、ケネス・プラナー演じる、保護局の局長は「混血児を文明化する、これがその答えです。人種交配も三代で肌の黒さは消滅します。白人文化のあらゆる知識を授けてやるのです。野蛮で無知な原住民を救うのです。」と収容の意味を説きます。支援、布教という名の侵略そのものです。
原作は、モリーの実の娘で、母同様に四歳で「保護」されてしまった、ドリス・ビルキングトンによる実話です。映画の最後に、八〇歳を超えたモリーと妹が登場します。稚内から那覇までの長い道のりを彼女は再度、幼い娘と共に歩いて逃げ帰らなければなりませんでした。「児童隔離政策」が一八六九年から、公式には一九六九年まで続けられていたからです。オーストラリア全土が「先住民同化のための特別法」を廃止したのは、一九八二年で、国連の「先住民族の権利世界宣言」の年です。
「ウサギよけのフェンス」とは、ライオンや狼という天敵がいないオーストラリアで、ウサギが繁殖して牧草地を荒らすので、先住民の土地でもおかまいなく、イギリス人入植者が建てたものだそうです。アフリカのザイール(現在のコンゴ)で、ベルギーとイギリスの資本による会社が採掘したウランが、広島、長崎に投下された原子爆弾の原材料だったことも知りました。ザイールの鉱山国有化によって、多額の補償金をもらった会社はオーストラリアへ転出し、ウラン鉱山を見つけます。冷戦体制時の核開発競争の中で、連邦政府は開発に期待をします。ウランは世界に輸出され、驚いたことに、福島原発の東京電力も長年にわたる顧客だということです。金目のものが見つかると、アボリジニを追い出し、フェンスを建てるという暴力が一〇〇年以上も続いたのです。
モリーはなぜ、命の危険を顧みず、九〇日間を歩き抜いたのでしょうか。収容所に残れば、少なくとも生きることはできるのに。白人の奴隷としての将来よりも、人間としての誇りを選んだのでしょうか。お金のためなら何でもする人間と、誇りのためなら命をも捨てる人間。その違いは、置かれた立場なのか、精神なのか、考えずにはいられません。今年も、アウシュビッツからの生還者、プリーモ・レーヴィーの本を読んで、新しい年を迎えたいと思います。
皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)
1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。