公益財団法人とよなか国際交流協会

リレーコラム(2015年度~)

2019年09月 이모저모通信(第4回)

皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)

ドイツ映画『僕たちは希望という名の列車に乗った
(原題:Das schweigende Klassenzimmer=静かな教室)

2015年7月、はじめてベルリンを訪問したのだが、圧巻だったのは壁だった。
 高さ最大5メートルのコンクリートの壁が120キロメートルもあり、西ドイツを囲んでいたという緊張感を、残存する壁を見ただけでも感じることができた。圧巻だったのは、ナチス政権の非行の数々が「テロのトポグラフィー」としてパネルや写真で展示してあったことだ。そんなことを思い出しながら京都の出町座で観たのがこの映画だった。
 1961年から1989年までベルリン市内に存在した壁が建設される前夜、1956年の東ドイツの高校に通う2人の青年は、祖父の墓参りの帰りに西ベルリンの映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を見る。ソ連から弾圧され、死者まで出ても自由を求め闘うハンガリー市民に共感した2人は、クラスメイトに呼びかけて授業中に2分間の黙祷をする。
 ソ連軍が駐留する東ドイツではそんな行為すらも社会主義国家への反逆とみなされ、人民教育相が首謀者の捜査を行う。仲間を密告して自分の生活を守るのか、信念を貫いて大学進学を諦めるのか、高校生たちは人生を左右する重大な選択を迫られる。映画に登場する、ナチスドイツの拷問を受けた教育相やナチスドイツに寝返って処刑されてしまった赤軍兵士、友達を密告した市会議員、1953年の政府に抗議のストライキをした鉄鋼労働者など、高校生の親たちにも戦争やその後の東ドイツで刻印されたそれぞれの傷があった。親は子どもたちを守るために、密告を強要したり、知らないふりをしろと懇願したりする。納得しない子どもに、西ベルリンに逃げろと言う母親の言葉がつらい。
 戦後、4国分割管理となったドイツは住んでいるところが東側か西側かで、思想信条に関わらず、すべてが分断されてしまった。そして、1989年の壁の崩壊。自由を求めて闘ってきた東側の人たちは、30年を経過した統一ドイツで「こんなはずではなかった」と落胆していることが多いと聞く。映画の中の東ドイツ時代の肉体労働者は厳しい労働であっても、暮らし向きは良い。体制に抗議すると、職場を奪われたり、仲間を裏切れと強要されたりする状況はどんな体制でも存在する。旧西側に劣等感を抱いている旧東ドイツでは、移民排斥感情が吹き荒れているという。
 現在も分断国家のままなのが、朝鮮半島だ。ドイツの状況から目が離せなくなる。映画の若者たちの決然とした態度に心打たれ、涙が流れる。どんな状況でも人を裏切らない若者たちの姿に、自分もそうでありたいと願いながら宵山の京都を歩いた。

皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)

2018年2月号に最終回を迎えた連載「なんじゃ・カンジャ・言わせてもらえば」の執筆者、皇甫康子さんの新しいコラムがスタートします。皇甫さんの想いとメッセージがイモヂョモ(あれこれ)詰まったコラムをどうぞ。