2020年02月 少しだけ北の国から@福島
辻明典(つじあきのり)
少しだけ北の国から@福島(第20回)
個人的な話なのですが、先日、教員になって初めて教えた学生たちの成人式がありました。僕がとよなか国流にお邪魔していたのは、まだ自分が学生だった2011~2013年ごろ。その後、福島に戻ってから出会った学生たちです。出会った日から、気づくと約七年の月日が流れていました。きっと苦労も重ねて、悩んだこともあったはずなのに、立派な成長を遂げていて、僕の方が勇気付けられてしまいました。
小学校5年生の頃に、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故がおこったので、津波の被害にあった人も、仮設住宅から通っていた人も、避難生活を経験した人もいました。転校や避難で離れ離れになってしまった友達もいたでしょう。失った悲しみを胸の奥にしまいこんで、気丈に振舞おうとしていた人も、きっといたと思います。誰であっても、人生は悲喜こもごもで、もがき、悩んでも、それでも生きなければならない。たとえ、(一応)民主主義体制下で、世界で初めての原発事故が起こってしまったとしても、それでも人生は続くのです。
ある日の授業で、「なんのために、人間は生きているんだろう?」と、哲学カフェのように対話をしたことがありました。とても和やかな雰囲気のなかであったと記憶していますが、ある一人が「今まで『どうして生きているんだろう?』と考えていたけれど、最近は『どうやって生きていこう?』って考えています。」と、勇気を出して話してくれました。まだ悲しみが残っているこの土地で口に出されたその言葉は、胸に刺さりました。僕はといえば、「そうだね・・・生きていてよかったと思える瞬間が必ずあるから、生きているんじゃないかな。」としか言えなかったことを思い出します。
ああ、あの頃、自分にできたことは何だったのだろう。自分にできたことといえば、ただ話を聞いてあげることぐらいしかなかった。そう思いながらも、大人の顔つきになったみんなの顔を見て、感慨深い思いに浸ってしまいました。
辻明典(つじあきのり)
協会事業(哲学カフェ、プロジェクト“さんかふぇ”等)に参加していた辻明典さんが、2013年度より故郷である福島県南相馬市に戻り、教員をしています。辻さんからの福島からの便りをどうぞ。