2025年8月 이모저모通信(第21回)
皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)
『卒業50年の同窓会』
同窓会と聞いて、複雑な気持ちになるのは私だけではない。「在日」の多くが通称名で日本の学校に通っているのだ。大人になって本名を名乗れば、同窓会でも本名宣言をしなくてはならない。
進学した地域の公立高校は少し前に紛争があったそうで、服装は自由だった。衝撃的だったのは、新入生歓迎ウォーキングで甲山に集合すると、プロレスが始まったことだ。大爆笑の渦の中で、先輩たちが本気で演技している姿に、すごい高校に入ったなと思った。
一年生の夏休みに祖父の還暦祝いのため、父が生まれ育った韓国を初めて訪問した。帰宅後、急性肝炎に罹り二か月の入院を余儀なくされ、春休みに先生たちが補習をしてくれることになった。韓国のどこに帰ったのか地図を広げてきいてくれる先生や、「在日」の小説家や歴史研究家の本を貸してくれる先生もいた。そして、学校紛争の時、中心的な存在だった「在日」の先輩が朝鮮大学に進学したと話をしてくれる先生もいて、本当に驚いた。小学校や中学校のように無視されていなかったことに気づき、うれしかった。大学に進学したら本名を名乗ろうと決心したのも、韓国訪問に加え、この先生たちの声かけが大きかった。
本気で部活に取り組み、先生たちとも対等に語り合い、充実した高校生活だった。大学に行ったら、「在日」の歴史を学習して、胸を張って朝鮮人として生きようという思いが強くなるばかりだった。
そんな私に、三年生の担任の進路指導は、「朝鮮人は就職差別があるから、大学に行っても無駄。進学なんかあきらめろ。そもそも、そんなお金があるのか。外国人は教師にもなれない」というものだった。
そして、卒業50年となる同窓会が今年、2025年3月に開催された。行きたくない理由を級友に話すと、いっそのこと担任に話をしてスッキリしたらと言われ参加することにした。元担任に、進路指導で私に言ったことを覚えているかと問いただすと、覚えていると言う。どうしてそんなことを言ったのかとさらに問うと、「『在日』の生徒に関わったとき、無理に本名を名乗らせたと糾弾された」と言い募る。そして、「君は強いから跳ね返せると思った」と言い訳するのだ。「17歳の私はすごくショックを受けたが、先生への怒りがあり、教員になれた。講演や授業などで、先生のことをいつも話している」と返すと、笑顔で拍手するが一度も謝らない。「在日」の先輩の気持ちに寄り添わず、糾弾された恨みをどうして私に晴らすのか。理解できない。謝罪の言葉がないことにも失望した。ずっと、気にしていたことが悔しい。
卒業後、同胞だと知った同級生を探した。はじめてお互いに「在日」だと明かし、それぞれの生い立ちについても語り合った。また、尼崎の市役所で初めて指紋押捺をした時に出会った同級生とも言葉を交わした。中国人だと思っていたが実は台湾人で神戸の中華同文学校から入学したという。再会しなければ聴けなかったことがたくさんあった。
私にひどい進路指導をした担任は、退職するまで「在日」の生徒に同じような対応をしていたのだろうか。50年も我慢しないで「それは差別だ」ともっと早く言ってやれば良かったが、すぐに反論できる力はまだなかった。「反面教師」という言葉が心に沁みる。
皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)
2018年2月号に最終回を迎えた連載「なんじゃ・カンジャ・言わせてもらえば」の執筆者、皇甫康子さんの新しいコラムがスタートします。皇甫さんの想いとメッセージがイモヂョモ(あれこれ)詰まったコラムをどうぞ。