公益財団法人とよなか国際交流協会

リレーコラム(2015年度~)

2015年05月 少しだけ北の国から ~ふくしま@辻より

辻明典(つじあきのり)

「とりあえず・・・」
 東日本大震災と福島第一原発事故が起きてから4年が過ぎた。そろそろ、わたし自身の言葉で、少しずつかもしれないが、この状況を記述してみたい。
 原発事故によって、何が奪われたのだろうか?
 拡散した放射性物質によって、家が奪われ、田畑が奪われ、仕事場が奪われ、町から温もりが奪われ、ささやかな楽しみさえも奪われた。
 わたしの友人たちは、故郷を奪われた。故郷、例えばそれは、生まれ育った場所、友人や親戚が住んでいる場所。先祖のお墓がある場所。しかし、その故郷は、警察官たちがたたずむ境界線の向こう側に、間違いなくある。家があるのに、帰れない。集落の姿は見えるのに、そこに住むことはできない。あの林野には、かつてのように立ち入ることは許されない。
 では、どのように奪われたのだろうか? 
 奪われた野にも、春はやってくる。花見をする人がいなくとも、春になれば桜は咲く。人の姿は消えたけれど、かつてと同じように家々が並んでいる。故郷が失われた。しかし、本当に故郷を失われたのかどうかが、はっきりとしない。帰れるのか、それとも帰れないのかがはっきりしない。わたしたちは、このような「あいまい」な感覚にまとわりつかれている。
 原発事故によって、たくさんのものが奪われた。この喪失体験は、「あいまい」な感覚と切り離して考えることは難しいと思われる。「あいまい」とは、はっきりしないこと、ぼんやりしていること、確かではないことを意味している。わたしたちは、故郷を失われたのかどうかがはっきりしていない、という状態にとどまり続けている。いや、より正確に言うならば、とどまらざるを得ない状態に置かれ続けている。
 「あいまい」な状態にとどまり続けるのは、かなり辛いのではないかと思われる。辛いだけではない。「あいまい」な喪失体験は、ある状況をわたしたちに強いる。それは、「とりあえず…するしかない」「とりあえず…せざるをえない」という状況だ。問題の解決を後回しにせざるをえないけれど、とりあえずの対応をするしかない。家はあるけれど帰れないから、とりあえず仮設住宅や借り上げ住宅に住まざるをえない。低線量被曝は子どもの体に影響を与えるかもしれないが、納得できる対処法は見当たらないので、とりあえず検査を受けさせることしかできない。とりあえず…とりあえず…とりあえず…原発事故は、「とりあえず」の選択肢を、わたしたちの周りに張りめぐらせた。
 奪われた果てには、何があるだろうか? 引き続き考えてみたい。

辻明典(つじあきのり)

協会事業(哲学カフェ、プロジェクト“さんかふぇ”等)に参加していた辻明典さんが、2013年度より故郷である福島県南相馬市に戻り、教員をしています。辻さんからの福島からの便りをどうぞ。