2015年11月 アペカカカ!(第5回)
十田麻衣(とだまい)
本来であれば5~8月ごろが雨季のガーナですが、わたしの住む地域では、今年はまったくと言っていいほど雨が降りませんでした…が、今更になって降り始るようになりました。でも乾季にもさしかかっており、雨が降るとすごい勢いで湿度があがります…。いくら水分を摂っても焼け石に水のごとく喉は砂漠状態です。
「途上国は先進国のごみ箱じゃない!」…これは理学療法士として職業訓練校に配属されている同国の隊員がFacebookに書いていた言葉です。いわゆる途上国には、日本をはじめとるする先進国と呼ばれる国々からさまざまなモノが援助物資として送られてきます。それらはNGOやNPO、慈善団体、国際機関、時には協力隊を通じて入ります。流れ込む全てのモノが無駄だとは当然言いませんが、使えない・不要なモノで溢れていることも実は真実でもあります。
わたしが最初にモノの援助の現場に立ち会ったのは、2011年にケニアのある小学校に滞在していた時でした。キリスト教が主要宗教の国では、公立の学校はどこかの教会の系統に属していることがよくあります。その小学校が所属する宗派と同系統のアメリカの教会のメンバーがサッカーボールやカラーペン、ノート、英語の辞書、飴やお菓子など…教会のチャリティ活動で集めたモノを盛りだくさん持ってきました。子どもたちはクラスごとに並び、女の子たちはアメリカ人ゲストを前に歓迎のダンスなどをします。そして寄付されたモノを高らかに掲げ、先生が子どもたちに「ありがとう!とお礼を言いましょう!せーの!」と子どもたちに「Thank you very much!」を何度も復唱するよう促します。その現場に居合わせた時の、茫然と立ち尽くす以外なにもできなかった…何とも表現しがたい感覚を今でも鮮明に覚えています。極端で失礼な言い方をすれば、先生も子どもたちも待っていただけで、モノが降ってきたのです。小さいころからそのように育った子どもたちが、おとなになったら…。援助してくれる人たちに「欲しいですか?」と聞かれて「要りません」と言える援助される人はいるのでしょうか…。
不要になったものが、それを必要とする人の元に届けば、それは意味のある援助になります。しかし、本当に必要とするものが、必要とする人のところに届くのは常ではありません。冒頭に書いた理学療法士の隊員の学校はイタリアの教会の支援が入っており、壊れたり不要になったりした車いすや義足の部品などが送られてくるそうです。しかしそれらを使う人が、彼女の学校にはいなかったり、その車いすや部品を直せる技術を持った職人がガーナにはおらずに結局は使い物にならなかったり…。わたしたち援助する側の人間から見れば、被援助者にとって必要かもしれないものも、被援助者当事者からしてみれば必要なかったり、使えなかったり、使い方がわからなかったり…そういうものもたくさんあります。本当に必要とするものが、必要とする人のところに届くようにするためにはどうすればいいのでしょうか…?
十田麻衣(とだまい)
元協会職員の十田麻衣さんが、青年海外協力隊として2014年7月より西アフリカの国、ガーナで活動しています。十田さんからの驚き、発見、感動たっぷりの便りをどうぞ!