公益財団法人とよなか国際交流協会

リレーコラム(2015年度~)

2018年09月 이모저모通信(第1回)

皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)

映画「菊とギロチン」(2018年) 
 1923年、9月1日に発生した関東大震災では、国民の不平不満をそらすために、「朝鮮人が暴動を起こす」「井戸に毒を入れる」などのデマ情報が内務省から警察に通達された。自警団が組織され、多数の朝鮮人や朝鮮人に間違われた地方の日本人、無政府主義の活動家が殺された。
 映画「菊とギロチン」は、震災直後の日本の貧しい人たちの様子を力強く描いている。とりわけ、魅力的なのが女相撲の女性たちだ。女相撲は明治10年(1877年)、山形の興行師が「興行女相撲」として考案した。単に、肌をあらわにして相撲を取るという男性目線の興行ではなく、真剣勝負だったのは、映画の場面だけでも感じることができる。小作農に生まれた女性たちの奴隷のような生き方、沖縄や朝鮮と蔑視されることへの抗い。そんな女相撲の女性たちに、アナーキストの活動家たちが絡む。両者の交流が深まるにつれ、生い立ちや貧しい人たちが幸せになれる社会への切望が語られる。その中で、関東大震災の虐殺から逃れた女力士の証言に、中濱鐵を演じる東出昌大が、日本人として泣きながら詫びるシーンがある。胸を打たれる。朝鮮人だと知られた女力士は自警団に捕まり、拷問を受ける。その自警団たちも日露戦争のトラウマを抱えながら、関東大震災の時には虐殺を命令された。木刀で殺した朝鮮人の顔が忘れられず、怯え、暴力に走る。そんな自警団にも中濱鐵は、一緒に平和な世の中を作ろうと呼びかける。
 女相撲はそれぞれが様々な事情を抱えながら、旅を続ける。凶作にあえぐ村の雨ごいのために、人間扱いされない女性たちを励ますために、太鼓を鳴らし、民謡を歌って興行を知らせる。自分を殴る男に勝てる力をつけたいと挑む、彼女たちの誇り高い闘いの姿は美しい。チャンゴのリズムが流れる映画の最後に中濱鐵が1926年、堺で死刑執行されたと知らされる。29歳だった。日本を平等な良い国にしたいと考え、行動し、死刑となった日本人がいたことを忘れてはいけない。展開がおもしろく、あっという間の3時間だった。

皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)

2018年2月号に最終回を迎えた連載「なんじゃ・カンジャ・言わせてもらえば」の執筆者、皇甫康子さんの新しいコラムがスタートします。皇甫さんの想いとメッセージがイモヂョモ(あれこれ)詰まったコラムをどうぞ。