2019年05月 이모저모通信(第3回)
皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)
3・1独立運動100周年(第3回)
3月のソウルは明るい陽射しに包まれ、春の兆しを感じることができると思いきや、PM2.5の影響でスモッグに覆われ、外を歩くときにはマスクが必需品だった。2010年に韓日併合・「在日」100年として『「在日」の家族写真』展を開催したが、2019年3月1日は独立運動100周年として、韓国では独立運動に命を捧げた烈士たちをたたえ、記憶する展示や映画の制作、本の出版、行事などが開催されている。
ソウル歴史博物館をはじめ、独立運動に関係する展示がたくさんあった。とりわけ面白かったのは、光化門近くの一角に当時の市電や独立運動家の家が再現されていて、広場には独立宣言文や写真の展示、使用が禁止されていた「愛国旗(太極旗)」が市民の手形で制作され、掲げられていたことだ。歩きながら独立運動の歴史や雰囲気が味わえる仕組みになっている。同じ場所にソウル市とソウル大学研究チームによる「記録記憶」と題された、「慰安婦」問題の展示室がある。捕虜収容所で撮影されたとする朝鮮人慰安婦の写真の実物公開や貴重な映像もあり、見応えがあった。
街路にも柳寛順や金九などの烈士たちの写真と説明が展示されている。独立運動展をみている家族連れや、ワークシートに書き込みながら見学している子どもたちの姿にたくさん出会った。ちなみに公営の博物館や美術館は無料である。
柳寛順の映画も二本制作されていて、その一つ、「ハンゴ」を滞在中に観ることができた。ほとんどの場面が獄中での女性たちの連帯と闘いである。ポーランドの映画、「アウシュビッツの女囚」を思い出した。柳寛順というと16歳で独立運動を主導し、獄中死する運動家と簡単に語っていたが、命を懸けた独立、自由への凄まじい信念に体中が熱くなった。自分は罪を犯していないと、どんな拷問にも屈せず、恩赦も受け入れない。
特別なことではなく、朝鮮人として当たり前の生き方をしたいという姿は、民族名を呼び、名乗る活動の原点を見るような人生だった。日本の公立博物館で、植民地支配や戦争加害の歴史を知ることはできない。残念だ。
皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)
2018年2月号に最終回を迎えた連載「なんじゃ・カンジャ・言わせてもらえば」の執筆者、皇甫康子さんの新しいコラムがスタートします。皇甫さんの想いとメッセージがイモヂョモ(あれこれ)詰まったコラムをどうぞ。