2019年06月 少しだけ北の国から@福島
辻明典(つじあきのり)
少しだけ北の国から@福島(第18回)
2011年3月11日から、8年と2ヶ月がたった、2019年5月11日に、この原稿を書きはじめました。月命日に当たる毎月11日は、海岸線を捜索する日です。
僕の知人をたどっていくと、まだ行方が分からないままの方々に出会います。「もしかしたら、遺品が見つかったかもしれない」と警察から連絡があり、「身元を確認するために、DNA鑑定をしましょうか」との提案を受けても、そもそもかつて住んでいた家(もう8年も前です)が丸ごと流されてしまっているので、鑑定に必要な形見の品が一つも残っていない、ということもあるのだと、つい最近に、今更ながら知り、遺族の方の思いはいくばくかと、胸がきゅっと締め付けられそうになります。
もうすぐ故郷が、津波に襲われて、放射能にも汚染されてから、10年が経とうとしているのに、過去が、流れてもいかず、積み重なってもいないことに気づきます。なんとなくかもしれませんが、雰囲気が変わり始めている感触もあります。うまく言葉で説明することは難しいのですが…「とりあえずは、日常を過ごすことの方が大切だから」「放射能のことを気にしていると、暮らしてはいけないから」といった、あきらめとも、忘れるとも少し違う、日常を取り戻しつつある状況に残る、なんとなく妙な雰囲気です。
スベトラーナ・アレクシェーヴィッチがチェルノブイリ原発事故の約10年後に、『チェルノブイリの祈り』という作品で世に問うたことを考えると、おこがましいと思いながらも、僕は福島原発事故後の世界と真摯に向き合っているのだろうかと、自分自身に問いかけずにはいられません。果たして、丁寧に(これが一番難しいことなのですが…)、この負の出来事と向き合っているのだろうか、と。
辻明典(つじあきのり)
協会事業(哲学カフェ、プロジェクト“さんかふぇ”等)に参加していた辻明典さんが、2013年度より故郷である福島県南相馬市に戻り、教員をしています。辻さんからの福島からの便りをどうぞ。