公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第8回 元気になれる解放歌

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

秋はたくさん催しがあり、あれも行きたい、これも面白そう、と意気込んでしまいます。十月十日、友人の誘いで、韓国のフォーク歌手、ソン・ビョンフィさんのコンサートに出かけました。
案内によると、孫(ソン)さんは大学在学中の九十年代から音楽活動をはじめ、現在は大学で講師もされている、シンガーソングライターです。彼が書いた詩は、祖国統一など、民衆の気持ちを表現したメッセージ性の強いものですが、声高に叫ぶのではなく、誰もが歌えそうなメロディーに、優しい声が重なります。聴いていると、心地よくなり、共感できる歌ばかりです。
ゲスト出演した野田淳子さんが、美しい高音で、「朝露(アチミスル)」を歌ってくれました。七十年代末、大学生だった私が、民族サークルで知った歌です。軍事独裁政権下の韓国で、民主化を求める集会で歌われはじめ、国民愛唱歌として今も、歌い継がれています。作者はキム・ミンギで、ヤン・フィウンが歌っていました。政権を批判する歌と、発売禁止になった時期もあります。
朝鮮の歌をはじめて聞いたのは、親戚たちが集って歌う、アリランなどの民謡や、古い流行歌でした。歌がはじまると、肩を揺らして踊るオッケチュムの輪ができます。朝鮮人長屋なら平気だった騒々しさも、日本人しかいない場所に転居してからは、周囲に気兼ねして、大声での宴会もほとんどなくなってしまいました。ようやく、民族と向き合おうと決心したとき、祖母たちが踊る姿を見るのは、結婚式場だけでした。
大学の民族サークルでは、集まりがあると、必ず最後はノレチャラン(のど自慢)がはじまります。もちろん、ウリノレ(朝鮮の歌)ばかりです。新入の私たちのほとんどが、日本の学校出身だったので、民族の歌を知りません。先輩たちが歌うノレ(歌)の中から、良いなと思う歌を懸命に練習して、レパートリーを増やしていきました。ハングルが読めるようになり、歌える歌が増えると、だんだん、朝鮮人らしくなっていく気がしました。その時に覚えたのが、「アチミスル」です。
もう、十数年前になりますが、韓国にいる従妹の結婚式に参加したときのことです。親戚のおじさんや、おばさんたちが集まり、結婚前夜の宴で、やはり、ノレチャランがはじまりました。ウリマル(母国語)が十分に理解できない、日本から来た私と弟たちを見る親戚たちの目は、厳しいものだったのですが、一番最初に私がウリノレを歌ったので、たいそう喜ばれました。親戚たちの態度は一変し、温かい気持ちになることができました。
私の子どもは、幼い頃から、池田や豊中で民族の文化に触れることができ、ウリノレを知っています。言葉はわからなくても、歌で韓国の元「慰安婦」のおばあさんたちや、子どもたちと交流していました。歌の力はすごいです。
コンサートの帰り道、「アチミスル」を歌いながら、私の解放歌は、この歌だったなあと、民族意識に目覚めた学生時代を思い出しました。これから、ソンさんの歌を練習しなくては。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。