公益財団法人とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第71回 ベトナムの豊かさ

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

2015年になりました。いろいろな意味で節目となる年ですね。6400人を超える命が一瞬で奪われた阪神淡路大震災から20年となり、戦後そして、被爆70年です。公共放送90周年というのもあります。東京の友人たちは、美術館などで展示中止になった作品を展示し、放送中止になった映像を流し、闘う芸術家たちの話を聞くという、「表現の不自由展~消されものたち」を1月18日から2月1日まで開催しています。
アメリカが仕掛けたベトナム戦争終結から40年を迎えるのも今年ですが、昨年12月に初めてベトナムを訪問することができました。小学校教員だった友人が、現在はハノイで日本に技術研修に行く若者たちに日本語を教えていると聞き、彼女に会いたい友人たちと旅することになりました。関西空港から約6時間でハノイに到着。国際線より立派な国内線に乗継ぎ、ダナンの空港から「海のシルクロード」と言われるホイアンに到着しました。16世紀以降、国際貿易港として繁栄したホイアンには、日本人によって作られた「日本橋」が観光名所として残っています。ゆったりとした街並みを散策すると、バッチャン焼きのコーヒーカップや、少数民族の刺繍小物などに目を奪われます。朝鮮の民画にそっくりなドンホー版画も観て歩き、疲れると、天井が高い、シックなカフェでベトナムコーヒーを飲みました。お店には「サイレント」と張り紙がされ、注文もメニューを指さします。
どこに行っても、市場は楽しいです。忙しそうに働く女性たちの露店に並ぶ、ドラゴンフルーツやジャックフルーツなど、たくさんの果物の中にドリアンを見つけました。量り売りを、その場できってもらいます。何年ぶりでしょうか。ドリアンのまったりとした上品な甘さが、口いっぱいに広がります。ベトナムの食事はバラエティーに富み、美味しく飽きることがありません。ヒンドウ文化を取り入れたチャンパ王国や中国一千年の支配、フランス統治に日本統治、歴史的にみれば、常に他国の支配や侵略を受けてきた苦難多き国ですが、たくさんの文化が混じり合い、豊かな食文化が残っています。とりわけ私が気に入ったのは、種類の多いお鍋と「チェー」というスイーツです。温かい「チェー」は、お腹に優しく、食べ過ぎの胃腸を休めてくれました。
タクシーで古都、フエまで移動し、王宮めぐりツアーに参加しました。ガイドを見失い、広大な王宮で迷ってしまいました。出口が分からなくなっていると、ホーチミンから来たというカップルに助けられました。集合場所にたどり着くと、ベルギーから来た男性も迷っていたそうで、話をすると、なんと4か月の旅だということでした。タヒチのフランス人女性は、一か月の一人旅と言っていました。名前も知らない一日だけの旅の友でしたが、船で川を下り、ホテルの近くまで一緒に帰ってきました。「元気で楽しい旅を」と抱き合い、別れを惜しみました。
ベトナムは高速道路が少なく、「統一鉄道」で細長い国内を移動するのもゆっくりです。6日間の短期旅行の私たちは、首都ハノイまで、飛行機で移動し、出迎えてくれた友人と再会を喜び合いました。彼女が手配してくれた、水上人形劇を観てとても感激しました。物語は、何とも言えない美しい、女性の声で歌われるのです。別の劇場では、革命ミュージカルのようなポスターが貼ってあり、いつか観てみたいなと思いました。
アメリカを倒して統一ベトナムを作っているという自負心は、ベトナムの人たち一人ひとりから感じることができました。市場で手作りのハンコや籠を買うとき、「ベトナム製は最高なんだ」と誇らしげでした。河や湖、大樹の並木道と見飽きることのない美しい風景の中にいると、革命博物館でみた戦争の歴史がたくさん埋まっているのだなと胸が詰まります。朝鮮半島もベトナムのように侵略や植民地支配と闘いましたが、いまだ統一されていません。分断国家となって、60年以上になるのです。
今年の年賀状の、フエの世界遺産に立つ私の写真を見て、遠方の友人から久しぶりに連絡がありました。一緒に面白いことができそうです。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。