第58回 再見、宝塚歌劇
皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)
阪急宝塚線の池田駅を降りて、山側に上がって行くと、阪急電鉄や宝塚歌劇団の創設者、小林一三さんのコレクションを展示している、逸翁美術館があります。さらに東に上がると、小林さんの新婚時代の木枠の家があり、現在はレストランになっています。もう少し上がると、五月山の大広寺にお墓があり、歌劇団の往年のスターや、新入生たちがお参りする姿に出会うことがあります。私の家の前を通ることもあり、声を掛けたくなるのを失礼かなと思い、我慢したこともありました。
中学生のとき、「ヅカファン」の友人に誘われ、二階席で初めて観たのが、七一年の星組の「星の牧場」でした。トップスターになりたての鳳蘭が、劇団民藝の宇野重吉が演じた役をしていました。華やかな芝居ではありませんが、復員兵と馬の友情にぐっときました。そして、レビューの格好良さにはまってしまい、以来、宝塚に通いつめるようになりました。
一九一四年にはじまった宝塚歌劇の公演は、来年二〇一四年に一〇〇周年を迎えます。記念公演のチラシを見ると、私が知っている三〇年前に活躍していたスターたちの顔がありました。「ベルサイユのばら」も素晴らしい舞台ですが、それ以前の、「一寸法師」や戦後すぐの東京の下町で、貧しい人たちのために命の限り活動をする北原怜子を描いた「蟻の町のマリア」が思い出されます。「カルメン」の舞台は歌も芝居も素晴らしく、オペラのようでした。初めての朝鮮の歴史ロマンもの「我が愛は山の彼方に」にも、感動しました。チマ・チョゴリを着た娘役の姿に、自分の民族の歴史が宝塚の舞台で演じられていることに胸が一杯になりました。主役の高句麗の軍人役も鳳蘭で、彼女は神戸出身の在日中国人でした。
大学で出会った、友人の親戚にもヅカガールがいたのですが、「在日」だということは言えないと言っていました。中国国籍だと公にしても良いのに、韓国・朝鮮だと隠さないといけないのかと、興ざめしました。それまでは、毎週、宝塚に通い、友人たちと脚本の読み合わせをしたり、歌を練習したり、「宝塚ファンコンテスト」というラジオ番組に出演したりしていました。予選を通過してラジオ出演できると、スターに会えるというのが一番の幸せですが、副賞に、歌劇の鑑賞券と宝塚ホテルの食事券があり、これも楽しみでした。その時に母親を誘って観たのも、鳳蘭の舞台でした。母と一緒にツレちゃんを待って、サインしてもらったのですが、女学生のようにうれしそうにしていた母親の姿が忘れられません。学校に行けず、家事やきょうだいの世話をし、すぐに結婚した母なので、青春などなかったといつも聞かされていました。「ツレちゃん、きれいやな」とつぶやく母に、「舞台とか観るのが好きだったんだ」と新たな発見をしました。
進学や就職で、縁遠くなった宝塚歌劇ですが、数年に一度、チケットが舞い込みます。大地真央のサヨナラ公演のダンスは見応えがありました。井上ひさしの舞台で活躍中の愛華みれが、オッペケぺー節で有名な川上音二郎を演じたのも面白かったです。「在日」だと表明している、安蘭けいの現役の舞台は観る事ができなかったのですが、ずっと応援しています。最近、数十年ぶりに、歌劇をみることができました。満杯の会場は熱気ムンムンです。花道を歩く格好よさ、大きな羽を背負って大階段を下りるスターたちの美しさに気持ちが高揚しました。「現実を忘れさせてくれる、貴重な空間」という、最近ファンになった友人の言葉が思い出されます。レビューとは、語源的には「再見(見直す)」を意味するフランス語で、一八二〇年代のパリで、年末に、その年のできごとを風刺的に回顧するために演じられた出し物を起源とするのだそうです。お定まりの洋物ラブストーリーではなく、現実を風刺するような、宝塚歌劇ならではの作品を観てみたいものです。与謝野晶子や平塚雷鳥、伊藤野枝など、日本社会を変革してきた女性たちが登場する作品や、女性の自立を謳う作品なんてどうでしょうか。
巳年の終わりに「ローザ・ルクセンブルク」と「ハンナ・アーレント」の映画を観ました。「強く、正しく、美しく」生きた二人の女性に圧倒されました。熱い一年でした。
皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)
1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。