公益財団法人とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第53回 保護者活動の軌跡

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

池田で「外国人保護者会」を設立したのですが、ニ三年前です。子どもを本名で通わせたいと考えた保護者が、力を寄せ合って作りました。豊中市や箕面市では、夏季学校があったり、市をあげての国際的なイベントがあったりと勢いがありました。それに比べて、ふるい池田で外国人と名乗っていると、「いつ日本に来たのですか。日本語上手ですね。」と驚かれたり、「日本の名前はないのですか。」と聞かれたりしたこともあります。「在日」はないものとされているのが、よく分かりますよね。
 そんな地域で、保護者たちは頑張りました。入学式や卒業式には、たった一人でチマ・チョゴリを着たり、PTA活動にも積極的に参加し、ここに「在日あり」と子どものために理解を求めたりしました。保護者の熱い思いが、たくさんの人たちを動かし、在日「親子」の集いになり、年一回の民族祭り「オリニモイム」に継承されています。毎月一回、民族が出会う日にしようと「ケグリの会」の活動がはじまり、ニ〇数年続いています。子どもが来ない日もありますが、そんなときは教職員たちで交流会をしています。太くなったり、細くなったりしながら、中国の子ども会もでき、最近では「多文化お楽しみ会」も開催され、年三回学期に一度、池田市内の外国にルーツを持つ子どもと親、教職員たちが集まっています。七月には三十五人が参加し、韓国、中国、台湾、ナイジェリア、メキシコの親子がチヂミを焼き、キンパップを作りました。デザートは人気のハロハロです。料理を一緒に作ることで、初対面でもすぐに仲良くなります。そして、夏は何と言ってもプールです。そして、夏は何と言ってもプールです。ワイワイ、ガヤガヤ楽しんで、冷えたスイカを食べて、一学期が終わりました。自己紹介で、胸を張って自分のルーツを話す子どもの姿を見て、涙ぐむお母さんがいました。成長するにつれ、子どもが自分のルーツを隠すようになっていたのに、「ケグリの会」に参加にはじめて、「私のお母さんは韓国人」と友だちに言えるようになったそうです。こんな報告を聞くと、本当に嬉しいです。また、頑張ろうという気持ちになります。
 池田の保護者会と同時期に、奈良でも「在日外国人保護者の会」が設立されています。大阪市内の保護者会は歴史が長く頼りになる存在ですが、民族学級がない少数点在の池田と奈良は状況がよく似ていました。九三年からはじまった、「オリニ・サマーキャンプ」は毎年、一〇〇人以上の参加があります。保護者が中心となり、全ての準備を行います。私も何度か参加しましたが、保護者たちが考えた工作や学習内容、美味しい焼肉に感服しました。池田の取り組みにも関心を寄せてくれ、次々に起こる問題解決のために、お互いに情報交流をよくしました。現在は生駒に国際国流協会も作られ、多文化な子どもや保護者たちも一緒に地域で活動しています。そんな活気ある保護者会が結成二〇周年を迎えました。
 九二年に保護者会結成総会の案内を送りたいと学校に依頼すると、誰か、「在日」なのか不明だという答えが返ってきたので、本名を明記してほしいという要望が最初の活動になったそうです。差別が怖くて、潜んでいる同胞たちが見える存在になってほしいという気持ちが、行政や学校に何度も足を運ばせていました。差別が怖くて、潜んでいる同胞たちが見える存在になってほしいという強い気持ちが、行政や学校に何度も足を運ばせました。本名を名乗るためには、民族教育が必要不可欠です。長年、教職員や学校、行政との意見の違いにも丁寧に話し合い、祝賀会にはたくさんの人たちが集まっていました。その中に、ロシアやブラジル、朝鮮学校の保護者もいます。「オリニ会」で育った子どもたちの中には、奈良で初めて採用されて「在日」の先生もいます。大阪や神戸の保護者会など、参加者の顔ぶれを見ると、ニ〇年間の活動の幅広さが感じられる祝賀会でした。
 子どもだけでなく、自分の民族性を取り戻すという心地よさが保護者会活動の原動力です。どの地域でも保護者が学校教育に協力し、民族教育を推進する力になって久しいです。一人で悩んでいたとき、先輩の保護者の存在がどれほど頼りになったか分かりません。池田の保護者会活動は休止したままですが、寄り合える場所を地域でつくっていきたいです。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。