2022年12月 少しだけ北の国から@福島(第28回)
辻明典(つじあきのり)
お恥ずかしながら、自分の筆がこの現実を丁寧に記述しているか、随分と自信がなくってきています。世界を見つめ直そうとする視点が衰えていることを感じます。冒頭でこんなことを書き連ねるのは、恥ずかしさを通り越して、恥じ入るばかりですが、私の浮き足だった世界の見方に、どうかお付き合いいただければありがたいです。
つい先日、親しい友人と出かけた途中、「帰還困難区域」である浪江町津島地区を通りました。その時、口をついてでてきたのは、
「放射線量が高いけれど、君は気にするのかい。それとも、気にしないのかい。」
といった言葉でした。そう、ただ通過するだけなのですが、高度に汚染された地域を通るので、一言尋ねなければならないと思ったのです。その友人は、「気にしない。」とのことでしたが、もしためらうのであれば、私は遠回りをしてでも、別の道を通るつもりでした。
みなさんはご存知だと思いますが、日本にも、人の住めない場所があります。そこが、福島県双葉郡浪江町にある、「旧:津島村」(現在の津島地区)です。旧村名をご存知なくとも、テレビ番組『鉄腕DASH』で、アイドルグループのTOKIOが農業体験をした、『DASH村』と言われれば、ピンとくる方もいるでしょう(かつて、ファンが殺到することを防ぐために、場所は知られてはいましたが、地元の住民にとっては「公然の秘密」でした。)。
約1400人が暮らしていたおおらかな山村に、2011年3月に放射性物質が降り注ぎました。住民は避難を余儀なくされ、事故から11年以上が経った現在も、帰還がかないません。所々の道路は、バリケードによって封鎖されていて、例え元住民であっても、役所の許可なしに入ることはできません。(「避難」「帰還」「封鎖」なんて、戦争中に飛び交う言葉のようです。)
朽ち果てそうな家屋。
草木に覆われた民家。
背丈を超える雑草。
まるで、「森」の中に迷い込んだかのようです。かつて「森」という言葉が指していたのは、人の手が入っていない、自然そのものでした。「森」は、人の手が入った「林」と区別されていたのです。しかし、近代化、帝国主義、高度経済成長や新自由主義といった、傲慢かつ不遜、畏敬の念を忘れた欲深き世代が触手を伸ばし、自然の隅々にまで手が加えられたことによって、純粋な意味での「森」は、この国から消えてしまったのかもしれません。
あまりに皮肉なことに、「原発事故」という科学技術の暴走は、人の手が加わっていない「森」を、再び地上に生み出したのかもしれません。いや、厳密に言えば「放射性物質」という人工的な汚染物が降り注いでいるので、「森」と呼ぶわけにはいかないのかもしれませんが。
辻明典(つじあきのり)
協会事業(哲学カフェ、プロジェクト“さんかふぇ”等)に参加していた辻明典さんが、2013年度より故郷である福島県南相馬市に戻り、教員をしています。辻さんからの福島からの便りをどうぞ。