公益財団法人とよなか国際交流協会

リレーコラム(2015年度~)

2023年8月 少しだけ北の国から@福島(第30回)

辻明典(つじあきのり)

 2023年5月1日、福島県相馬郡飯舘村の帰還困難区域で、一部の避難指示が、解除された。東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きてから、12年以上の月日が流れた。
 先日、一部の避難指示が解除された飯舘村の長泥地区を歩いてきたのだが、自分の記憶を辿ってみても、長泥地区を歩くのは、私にとって20年以上前のことのような気がする。子どもの頃に、両親に連れられて歩いた記憶が、うっすらと残っている。おそらくは、小学生の頃だっただろうか。はっきりと覚えているのは、あの頃は、田畑は整えられていたし、牧場もあったということだ。原子力発電所が事故を起こす前は、自然と共に暮らす人たちの姿が、確かに存在していた。
 川のせせらぎが響き渡る、こんなにも美しい風景の中に、放射性物質が漂っているとは、想像したくもないが、それは紛れもない事実でもある。人の姿がほとんど見えなくなっても、川は変わらずに存在し、せせらぎも変わらずに聞こえてくる。
 樹木や草木の生命力というのはすさまじく、人工物など容易に覆い隠してしまうほどだ。道路にたたずんでいたはずの看板は、木々に覆われ、注意深く観察しなければその情報を読み取れないほどだ。自然を制御しようという姿勢は、おこがましいのかもしれない。
 〈核災〉があらわにしているのは、この世界に救っている、根深い植民地主義である。それが搾取の構造を孕んでいることは、論を俟たない。都心から離れた過疎地に原子力発電所を押しつけられ、作られた電力も都心に搾取されている。
 一度でも原発事故が起これば、人が住めなくなる地域が生まれる。原子力発電所の恩恵を受けていなかった飯舘村は、全村避難を強いられた。突然、空から降りかかった理不尽さに、さぞかし腹が立っただろうし、無念でもあっただろう。12年もたつと、負の記憶すらも、社会からは忘れ去られていくのだろうか。
 長泥地区の、小さな祠にあった彫りもの。随分と風化してしまっているが、心なしか、怒りがにじみでた表情に見えた。そう感じたのは、私だけだろうか。

辻明典(つじあきのり)

協会事業(哲学カフェ、プロジェクト“さんかふぇ”等)に参加していた辻明典さんが、2013年度より故郷である福島県南相馬市に戻り、教員をしています。辻さんからの福島からの便りをどうぞ。