2023年11月 이모저모通信(第16回)
皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)
「さんねん峠でころぶでないぞ、さんねん峠でころんだならば、さんねんきりしか生きられぬ」小学校3年生の国語の教科書に掲載されている朝鮮の民話「さんねん峠」のお話をもとに、たくさんの学校で朝鮮文化を伝える授業をしている。どことなくひょうきんで美しい挿絵は何度見てもあきることがない。文も絵も「在日」女性の作家だということに気づいたのは昨年(2022年)、10月に同志社大学で開催された、原画展と講演会に参加したときだった。
今年(2023年)、9月23日、大阪生野区の「いくPA(いくのパークの略称)」図書館~ふくろうの森~で挿絵作者の朴民宜さんの作品展とお話を聞く会が開催された。1981年初版の「さんねん峠」をはじめ「あおがえる」や「りんごのおくりもの」「へらない稲たば」などの素敵な原画に囲まれ、お話を聞くことができた。
朴民宜さんが絵本を書くようになったきっかけは、これからどんな絵を描くのか、悩んでいたときに、世界絵本原画展を偶然みて、こんな世界があるのかと衝撃を受けたことだった。
『小さな絵本の中に全てのものが入っている。大きな絵に負けない力がある。日本も絵本ブームだったが、韓国や朝鮮の絵本は少なかった。その頃、韓国は独裁政権で絵本が出版できず、海賊版がたくさんあった。共和国のほうも余裕がなかった。だからこそ、日本で絵本を書く意味があると思った。
知人にお願いし、『さんねん峠』の作者・李錦玉さんに引き合わせてもらった。岩波書店の編集者が絵を見て、「いいですね」と言ってくれたので、救われた。6か月間、ほめられ、はげまされ「さんねん峠」が出来上がった。当時は資料が全くなかったので、昔の衣装や道具もさがせなかった。銀座の韓国専門店に通ったり、オンドル(温床)を研究していた人から、水原(スウォン)の民俗村の写真を見せてもらったりした。母方の祖父母が絵のモデルになってくれた。棒で叩く洗濯のようすやキセルを使っていた祖父を描いた。朝鮮の民話なので、昔の生活用具を描こうと努力した。1992年から光村図書出版の教科書に掲載され、その翌年から授業などで、呼ばれるようになった。子どもたちから「さんねん峠はどこにあるのか」「ころんだだけでなぜ死ぬのか」という質問がよくあった。「ちょうせん」と聞くと、ドキッとする日本の公立学校に通う子どもたちからは、とても美しい国だと思ったと言われ、すごくうれしかった。鶴見区の小学校で話をすると、本名で通いたいという子どもが出てきた。その時、自分がやっていることの意味を感じた。絵本を作って良かったなと思った。
大阪市外国人教育研究協議会の「サラム」の挿絵を描くきっかけは熱心な日本人教員からの依頼だった。教材を作る過程で気が付かないところをたくさん指摘してもらった。
教科書は今後また、4年間の掲載が延長された。教科書に朝鮮の民話が掲載されることの大切さを実感している。』
今頃、朴民宜さんのような素晴らしい先輩がいることに気づいたのだが、いつも彼女の絵が朝鮮人としての自尊心を高めてくれた。それは私だけでなく、数えきれないほどの子どもたちを励まし、明日への生きる力となった。
これからも、宝物のような朴民宜さんの作品を大切に伝えていきたい。
皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)
2018年2月号に最終回を迎えた連載「なんじゃ・カンジャ・言わせてもらえば」の執筆者、皇甫康子さんの新しいコラムがスタートします。皇甫さんの想いとメッセージがイモヂョモ(あれこれ)詰まったコラムをどうぞ。