公益財団法人 とよなか国際交流協会

リレーコラム(2015年度~)

2021年3月 이모저모通信(第8回)

皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)

私が生まれた1957年前後には高度経済成長期の日本で、あってはならない公害病や食品中毒事件が起こっている。1955年の森永ヒ素ミルク事件。1956年には、水俣病患者の発生が初めて報告された。さらに、富山県神岡鉱山による水質汚染が原因の「イタイイタイ病」、食用油にダイオキシン類が混入した「カネミ油症」事件や、四日市ぜんそくなどがある。自分も被害者だったかも知れないという思いは、学ぶたびに強くなる。
 今年度は「食の安全といのち」というテーマで、水俣病について5年生の子どもたちと学習している。最初に水俣湾の美しい海や碑を映像で見せた。水俣病を聞いたことがあるという子がいて、説明してもらうと、有機水銀で海が汚染され病気になったといってくれた。被害者の手記を3回に分けて読み、分かったこと、思ったことを書き、伝えあい、毎回、意見交流をする。チッソ水俣工場は亡くなったり、体の異常を訴えたりするたくさんの人がいても、有機水銀をなぜ、ずっと垂れ流したのか。国はどうしてすぐに、病気の原因を認めなかったのか。「奇病」という報道で、伝染病扱いされ、差別をされる人の気持ち、差別をする人の気持ちも考えてみる。
 最初は「怖い」「かわいそう」という感想が多かった。病気になった人はもっと怖かったのかな、赤ちゃんや子どもたちの症状が悪化するのをみて、家族はどんなに不安だったのかなと問い返すと、本気の顔になっていく。その後の感想には「苦しい生活の中で裁判を起こして、すごいと思った」「補償金をもらっても戻らないいのちがある」「水俣病にかかった人がせめられるのは、コロナの被害者への攻撃に似ている」など、学習への深まりが感じられた。
 日本が貧しい時代に戦争が起こされた。敗戦後、再び貧しくなったが朝鮮戦争で経済復興の基を作った。人権より経済が優先され、取り返しのつかない大きな被害を受け、生き続けている人たちがいる。これまでの闘いが、私たちの生活を守ってくれていることに気がつく。
 地名が病名になったことで、故郷を隠す悲劇があると語る当事者のお話も聴くことができた。子どもたちは、水俣病を学び、交流できて良かったと言ってくれる。一緒に考え、いろいろな思いを持つことができたようだ。伝えたいことはまだまだある。
2月末に公開される、ジョニー・デップ主演の映画「MINAMATA」が楽しみだ。

皇甫康子(ふぁんぼかんじゃ)

2018年2月号に最終回を迎えた連載「なんじゃ・カンジャ・言わせてもらえば」の執筆者、皇甫康子さんの新しいコラムがスタートします。皇甫さんの想いとメッセージがイモヂョモ(あれこれ)詰まったコラムをどうぞ。