公益財団法人 とよなか国際交流協会

リレーコラム(2015年度~)

2023年4月 少しだけ北の国から@福島(第29回)

辻明典(つじあきのり)

 処理水?汚染水? 
 福島第一原子力発電所でたまり続けている、放射性物質トリチウムが含まれた「処理水」。保管できる容量に限界が近づいてきている。政府と東京電力は、今年の夏にも、太平洋に「処理水」を放出したいようだ。政府も東電も、水質の安全性を強調している。一方で、地元の漁業者は、「風評被害」への懸念を崩していない・・・
 これは僕の住んでいる地域で、現在進行形で起きている、「処理水」をめぐる課題だ。
 いつもこのニュースを見聞きするたびに、「ちょっと待てよ」と思う。「う~ん」と、なんとも言えない違和感を覚える。「自分は、何にひっかかっているのだろうか?」と考えてみる。何回考えてみても、どうも「処理水」という言葉の使い方に違和感があるようだ。
 「処理水」とは言うが、「汚染水」とは言わない。どうしてだろう。
 東京電力のウェブページ、『福島第一原子力発電所 廃炉に向けて「これまで」と「これから」』をみると、次のように書いてある(もしお時間があれば、検索してみてください)。

「汚染水」とは、福島第一原子力発電所の事故により発生している、高濃度の放射性物質を含んだ水のことです。溶けて固まった燃料デブリを冷やすための水が、燃料デブリに触れ放射性物質を含んだ「汚染水」となります。さらに、地下水や雨水が原子炉建屋・タービン建屋といった建物の中に入り込み、汚染水と混ざり合うことで、新たな汚染水が発生します。
「処理水」とは、この「汚染水」を、複数の設備で放射性物質の濃度を低減する浄化処理を行い、リスク低減を行った上で、敷地内のタンクに保管している水のことです。

 理屈はわかった。でも、「処理水」に放射性物質が残っていることに変わりはない。だからだろうか、言葉遊びをしているようにも感じる。
 言葉は、私たちの思考や行動を規定する。言葉の力を、甘く見ない方がいい。日常的に、シャワーのように浴びせられる言葉の力は、私たちが思っている以上に強い。
 これを書きながら、だんだん腹の虫が治まらなくなってきたのでついでにいうと、「リスク」という言葉は、個人の権利や尊厳を守るためではなく、組織防衛の論理で使われることが、この社会ではあまりにも多い、と私は感じている。東京電力や政府の言葉が「不誠実」だと感じられるのは、「処理水」「リスク低減」といった言葉の端々から、あわよくば責任をとりたくないという態度が垣間見えるからだろう。「情理を尽くす」という姿勢があまりにも感じられない。
 尻切れトンボになってしまったけれど、とりあえずはここまで、ということで。

辻明典(つじあきのり)

協会事業(哲学カフェ、プロジェクト“さんかふぇ”等)に参加していた辻明典さんが、2013年度より故郷である福島県南相馬市に戻り、教員をしています。辻さんからの福島からの便りをどうぞ。