公益財団法人 とよなか国際交流協会

なんぢゃ・カンヂャ・言わせてもらえば

第102回 一瞬の幸せを紡ぐ本

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

「アウシュビッツの図書係」(集英社)という本を見つけました。絶滅収容所に図書館があったのか、と疑問に思い本を読んでみると、収容された子どもや教師のために命を懸けて、本を届ける少女の話でした。図書館と言っても、秘密裡に持ち込まれた8冊と人が本の内容を話す生きた本、6冊です。
 31号棟は家族収容所で、学校があり子どもたちが学んでいます。収容所では快適な暮しをしていると、外国の監視団に思わせる宣伝のためのものでした。ナチスの思惑とは別に、飢餓や選別、死と隣り合わせの生活でも、子どもたちに生きる希望を持ってほしいと願う大人たちの努力で、学校は守られていました。16歳のディタは、プラハ生まれのユダヤ人です。1939年3月15日のドイツ軍のチェコ進駐により、9歳だったディタは学校に行くことも、公園で遊ぶことも禁止され、自宅からテレジーンのゲットーに、そして1943年12月に、アウシュビッツに移動させられました。少女の生活は追い立てられるように、どん底へと沈んでいきました。そんなディタを救ったのが、父親から勧められて持ち出した、トーマス・マンの「魔の山」でした。投げやりな気持ちが本の世界に入ることで癒され、残酷な現実から解放されるのです。幸せだった以前の生活がよみがえり、人間らしい気持ちを取り戻すのです。ナチスに禁止されている本を持っているということは、処刑されるということです。そんな危険を顧みず本を隠し、運ぶことにディタは誇りを持ちはじめます。
 ナチス崩壊間近のある日、ガス室に送られた、たくさんの子どもたちの灰が舞い降りてきました。手のひらで灰を受け止めて「おかえり」と声を掛ける先輩から、一瞬でも幸せなら生まれてきて良かったと思えるのだと、慰められます。残された無気力な子どもたちに、物語を読むと自然に笑いが生まれ、生きる勇気が湧いてきます。
 著者のアントニオ・G・イトウルベは、アウシュビッツを訪問し、博物館の売店で見つけた本から、秘密の図書係をしていた少女が生き残っていることを知ります。80歳になったディタとの出会いで、この本が生まれました。プラハのユダヤ博物館で、テレジーンの子どもたちの絵をみたことがあります。その中にディタの絵もあったのです。
 本との出会いは不思議です。素晴らしい人間の生き方に触れ、引用された本の楽しさを知り、本が読める幸せを感じながら、暑い夏を過ごしています。

皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)

1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。