第3回 自分らしさを大切に
皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)
小学校の子どもたちは、出会うとすぐに「先生何才?」、「としなんぼ?」と聞いてきます。「何才に見える?当ててごらん」と返すと、低学年だと二十八歳、三十五歳なんて言ってくれて、苦笑させられます。さすがに高学年になると、「四十歳ぐらい?」と実年齢に近くなるのですが、それでも正解の五十二歳という子はまずいません。子どもの生活の中で、大人の女性というのは母親か、おばあさんですね。お母さんの年齢にあてはめて考えるので、私もずいぶん若く言ってもらえるようです。最近は見た目だけで年齢が分かるということは、ほとんどありません。服装もお母さんらしい、おばあさんらしい、なんて聞きません。
私も壮年と呼ばれる年齢になったので、それらしい落ち着きと物分りの良さを備えた、大人の女になりたいなと思うこともあるのですが、なかなかそうはいきません。「女は黙って○○ビール」の世界とは無縁の現実です。
思い起こしてみれば、子どもの頃から「女らしくない」3.自分らしさを大切に「男まさり」とよく言われました。人前ではっきりものを言う、負けず嫌いという性格が、女としては評価されなかったのです。小さい頃は母親に叱られるたびに、「どうしたら女らしくなれるのか?」と悩みましたが、成長するにつれ、「女らしい」と言われることに価値を見つけることができなくなりました。意見を聞かれても、はっきりものを言わず、やりたいことを我慢するなんて、私が私でなくなってしまいます。
「女らしくない」という言葉以外にも、「子どもらしくない」、「親らしくない」、「先生らしくない」ともよく言われました。そして、極めつけは、「朝鮮人らしくない」です。男性や大人に対して、生意気な口をたたくと、「女らしくない」、「子どもらしくない」と言われます。自分の人生を子どもに捧げないと、「親らしくない」と言われますね。この言葉は単身、海外に出かけたときに、高校受験を控えた娘から言われました。ここまでは、否定的な評価ですが、「先生らしくない」というのは、「型破り」、「今までにない」と好印象を持たれたときに言われました。「在日」先生の私が受け入れられたと思える、うれしい言葉でした。
講演に呼ばれた先で、参加者から「あなたは理路整然と話ができるから、朝鮮人には見えない」と言われたことがあります。この人が持つ、朝鮮人に対するイメージはきっと、「感情的にものを言って、こわい」ということなのでしょう。恐ろしく差別的な言葉ですが、言っているほうは、ほめ言葉のつもりなのです。私の母も、もの静かな同胞に出会うと、「あの人は朝鮮人に見えない」とよく言っていました。当事者が社会の差別的な価値観を取り込んで、無自覚に自分を貶めている例ですね。
子どもたちからは、「外国人らしくない」とよく言われます。髪の毛や肌の色が自分たちとは違う、というのが外国人なのでしょう。こうなると、画面や紙面で見せられている概念が浮かび上がってきます。子どもたちは隣の国の大統領の名前を知らなくて、遠いアメリカ大統領の名前は、みんなが知っているのです。
「らしくない」「らしい」という言葉は、比べる対象があって、はじめて成立します。「らしさ」という基準が圧力になって、その人の本当の姿を奪っているかもしれません。
考えてみると、「~らしい」という言葉ほど、不確かなものはありません。周りから押し付けられるイメージや価値観にとらわれないで、「自分らしさ」を大切にして、「人間らしい」社会にしていきたいですね。
皇甫康子(ふぁんぼ・かんぢゃ)
1957年大阪生まれ兵庫育ちの在日朝鮮人(朝鮮人は民族の総称)。
在日女性の集まり「ミリネ」(朝鮮人従軍慰安婦問題を考える会)代表。
「家族写真をめぐる私たちの歴史-在日朝鮮人、被差別部落、アイヌ、沖縄、外国人女性」責任編集。2016年、御茶の水書房刊。
小学校講師。
家族写真を使って、個人のルーツや歴史を知り合うワークを開催している。