2016年11月 少しだけ北の国から ~ふくしま@辻より
辻明典(つじあきのり)
「〈かたる〉ことを考えてみる」
みなさんの住んでいる土地には、民話は残っているでしょうか? 民話を語ってくれる人はいるでしょうか。恥ずかしながら、私も最近になって初めて知った物語がたくさんありました。調べてみると、いま私が住んでいる地域には、ため池にすんでいる大蛇が大雨を降らせた話や、里を荒らした熊の話などが残っていたのです。
例えば一つの教訓を、おもしろおかしく、ときには不思議な、こわい話につつんで〈かたってみる〉。
〈語る〉と〈かた騙る〉は、語源が同じであるともいわれています。
民話というものは、もしかしたら本当にあった話を、別の話に作り直して、かた騙ってみせることなのかもしれません。「ため池の水をぬいたら、大蛇が怒って大雨を降らせた」という話は、不作に備えて水は大事にしなければならないという教訓を、きっと物語に仕立て上げたのでしょう。
〈かた騙る〉ことは、嘘いつわりによって、誰かをおとしいれるたぐいの行為ばかりではないのかもしれません。辛いこと、悲しいこと、苦しいことなども、「昔々あるところに…」のフレーズではじまる物語の登場人物のように、茶化したり、ユーモアにつつんだりしながら〈かた騙ってみせる〉ことで、物事の本質をディープに〈語る〉ことができるかもしれません。
現在も、東北地方の太平洋側の地域では、幽霊と出会ったという話がいくつか残されています。夜道を歩いていると、確かに人の気配がしたのだけれど、まわりを見渡しても誰もいなかった話。運転をしていた車の後部座席に、夜道を歩いていた人を乗せて、確かに会話もしたはずなのだけれど、気付いたらいつの間にかその人がいなくなっていた話。そういえばあの人は、夏なのになぜかコートを着ていたような…。
こういった話は、怪談として片付けられてしまいやすいのかもしれません。ですが、「果たして本当にこれは、こわい話なのかな?」と思うこともあります。
いたずらにこわがられたら、亡くなった方々も迷惑だと思うのです。本当に、誰かをおどろかせるために現れたのでしょうか。よく考えてみると、幽霊たちも人恋しいのではないでしょうか。会ってくれそうな人のそばにしか、実は現れないのではないでしょうか。そんな気もするのです。
辻明典(つじあきのり)
協会事業(哲学カフェ、プロジェクト“さんかふぇ”等)に参加していた辻明典さんが、2013年度より故郷である福島県南相馬市に戻り、教員をしています。辻さんからの福島からの便りをどうぞ。